一文字が単語として機能する漢字には、多大な情報を込めることが可能です。この点では、音を構成する要素を示すだけのアルファベットや発音だけを表示する文字である仮名は、足元にも及びません。そのように凝縮度の高い文字によって構築される表現には、当然のことながら表面的な字面からでは計り知れない深い思いが込められています。

この『漢文名文選 故事成語編』には、古来、多くの日本人が読み味わってきた第一級の漢詩文を載録しました。その際、人口に膾炙した成句・成語のもとになった詩文をとりあげるということを、一つの基準としました。それは、何よりもまず、多くの人間の共感を得て支持され続けた言葉だけが持つ力強さを、みなさんに感じとっていただきたかったからです。

昨今の社会を振り返れば、失言を繰り返しながら、「相手を傷つけるつもりはなかった」とか、「自分の意図を理解してもらえなかった」等、自分の言葉の不正確さを棚に上げて、責任回避しようとする場面が多々見受けられます。また一方では、コンテクストを無視して発言の一部分だけを切り取り、揚げ足を取って相手を難詰するという、一見、言葉を重視しているようでありながら、実は言葉狩りに類する行為が繰り返される場面にも遭遇します。言葉を大切にしないそれらの姿は、周りの失笑を買うばかりです。

『荘子』「外物篇」には「言は意をとらふる所以ゆゑんなり(言者所以在意)」という表現があります。思考を構築する際にも意思や感情を形にして伝達する際にも、言語が必要不可欠な手段であることは、万古不変の事実です。本書を手にとって下さった方々が、漢文という文体によって共有されてきた言語活動の典型に触れ、言語表現の力強さや、たったひとつの言葉が持つ重みを実感してくだされば、幸いです。

三上英司

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