包帯クラブとぼく

はじめに

2013年6月、ちくま文庫版『包帯クラブ』が刊行されます。この作品は、ちくまプリマー新書の1冊として、7年前に発表されたのですが、東日本大震災や家庭や学校でのいじめ・虐待の深刻化など現実の社会で起こっていることを考えていくと、今こそ、この作品を多くの人びと(とりわけ、若い読者)に読んで欲しいとの気持ちが強くなってきました。作者である天童荒太さんも、同じような考えでした。そこで、新しい読者に届けるために、手に取りやすい文庫版での再刊を決定しました。天童さんは再刊に向けて、この物語をさらにおもしろく、深いものにしようと大幅に手を入れました。その加筆はなんと全ページに及びました。さらに、『海獣の子供』『魔女』などで人気の漫画家・五十嵐大介さんが、繊細でダイナミックな装画・挿絵を描いてくれました。こうして、さらにスケールアップした文庫版『包帯クラブ』は、新しい読者に出会うために店頭に並ぶことになったのです。
 ぼくは、これまでに400冊以上の本を企画編集してきました。その1冊1冊には、さまざまな思い出があります。その思い出はどれも、ぼくにはかけがえのないものです。『包帯クラブ』は、そういう思い出のなかでも特別な一つです。この連載では、どのようにして天童さんと出会い、『包帯クラブ』が誕生し、どのような反響や展開があったかを書き留めておこうと思っています。

目次

第1回

関根勤さんと『永遠の仔』

 ぼくが、TBS系テレビの情報バラエティ番組「王様のブランチ」にレギュラー出演することになって3年経った1999年春、ぼくにも番組にもエポックメーキングな作品が刊行されました。天童荒太さんの『永遠の仔』上下巻(幻冬舎)です。
 そのすこし前のことです。番組開始前に控え室で雑談をしているとき、関根勤さんが「『家族狩り』は、胸が締め付けられるようなすごい小説でしたね」と話しかけてきました。当然、ぼくが読んでいるだろうと思っていたようです。実は、その時のぼくは未読だったのです。恥ずかしいので、ついついそれを言いそびれてしまいました。
 それからしばらくして、店頭に天童さんの新刊『永遠の仔』が並びました。「関根さんより先に読まないと」と焦る気持ちで購入しました。
 この作品は読み始めると、まず全編にはりつめている緊張感に圧倒されます。そして、こんなに救いのない小説はあっただろうかと思うくらい、胸がキリキリと痛んでくるのです。さらに、下巻の途中からは随所で涙がほとばしり出て、最後に近づいたころには、嗚咽までもらしていました。それなのに、読後にはたとえようもない爽快感があり、その余韻がいつまでも胸の中に響いているのです。
 こういう作品を渾身の力を込めて書く作家がいて、それを刊行する編集者(出版社)がいる。同じ出版人として、また一読者として、心から感謝すると同時に、こういう作品が誕生する現場に立ち会えた編集者に嫉妬すら感じました。
 一人でも多くの人に読んでもらいたいと、4月17日の「気になる一冊」で、「読んでいると、小説とは思えなくて、現実世界で起こっていることに、その場に立ち会っているような気持ちになりました。ぼくが『ブランチ』に出るようになってから読んだ小説の中では、文句なしのベスト1。今を生きているすべての人たちに読んでもらいたい」と、最大限の讃辞とともに、この本を紹介しました。すると、木村郁美アナウンサーは「登場する人たちを抱きしめたくなった」と、関根勤さんは「これを読んだ後は、他の軽い小説がしばらく読めなくなった」と、ぼくの言葉を熱くフォローしてくれたのでした。
第2回

天童荒太さんと文庫版『家族狩り』

 その後、寺脇康文さん、はなさん、恵俊彰さんなどの出演者たち、岩村隆史プロデューサーはじめスタッフの面々もこぞって読みました。こうして、何週間にもわたって、『永遠の仔』の話題で盛り上がりました。最初に「ブランチ」で放送した直後から爆発的な反響があり、上下巻それぞれ10万部の重版をしたのに、あっという間に店頭から消えてしまったということでした。ちなみに、後に出た「日経エンタテインメント」を見ると、『永遠の仔』ヒットのきっかけの1位に「王様のブランチ」があげられていました。
 しばらくして、著者の天童さんから、ぼくたち宛に、心のこもった感謝状が届きました。こんなことはめったになく、本の紹介をしていてよかったと心底思ったものでした。
 ぼくは、さっそく天童さんに返信を書きました。その最後に、「これは夢のまた夢かもしれませんが、一編集者として天童さんと一生に一度でいいから仕事をさせてもらいたいと密かに思っています」と書き添えたのです。『永遠の仔』は、完成までに8年の歳月を要したと聞いていました。だから、ぼくの夢がそうそう簡単に実現するとは思っていませんでした。それでも、編集者として生きてきたぼくとしては、こういう作家と仕事ができたらという希望を持ち続けていたかったのです。
 その後、天童さん本人に会う機会があり、あらためて、この思いを伝えると、「わかりました。ぼくも松田さんと仕事ができれば嬉しいです」とこたえてくれました。
 それから、4年の歳月が過ぎていきました。天童さんは、1995年に発表した『家族狩り』を文庫化するにあたって、その基本的な骨格を生かして、まったく新しい物語として書き起こしていくという作業に集中していました。この成果が文庫版『家族狩り』として、2004年1月から全5冊で刊行されました。
 ぼくは、このつらくて重い物語を引き込まれるように読み進みました。ささやかな光明が差してくるラストに深い感動をおぼえたのです。そして、『永遠の仔』から5年という月日を待っていたかいがある、こういう物語を届けてくれた天童さんに深甚なる感謝の気持ちを伝えたいと思いました。そこで、この年の「ブランチBOOK大賞」を贈ることにしたのです。
 天童さんに伝えると、「『ブランチ』なら」と、民放番組に初出演してくれました。そこで、ぼくが代々木公園で寒風に吹かれながらインタビューしました。天童さんは、「新しい形で書く、しかも文庫で出すというのは、どう受け止めてくれるのか、不安もあった仕事でした。思った以上の人たちに気に入られて、ブランチさんにも評価していただいて、『よくやったなあ』と肩叩かれるような幸福感があります」と語ってくれました。
第3回

「ちくまプリマー新書」の創刊

 2005年1月から、「ちくまプリマー新書」を立ち上げました。このシリーズの企画書に、ぼくはこういう文章を添えました。
「従来の『新書』の読者層は大学生から中高年の男性でした。この『新書』は、より若い読者、小学校高学年から中高生ぐらいの年代の読者にまっすぐ向き合っていきます。その上で、中高年読者、女性読者などまで、幅広い読者層にひろがっていければいいと思っています。これまでの『新書』よりも、よりベーシックでより普遍的なテーマを、子供たちにもわかりやすい表現で伝えていきます」
 創刊ラインアップには、橋本治さん、内田樹さん、玄侑宗久さん、吉村昭さん、最相葉月さんの力作が並び、クラフト・エヴィング商會のお洒落な装幀とあいまって、好評のうちにスタートを切りました。
 そのころ、天童さんとは、折々にお目にかかって、物語のこと、出版のこと、世の中のことなどを話すようになっていました。当然、「プリマー新書」の話題にはよくふれていました。そういう話をしているとき、「天童さんに1冊書いてもらえないだろうか」と思いついたのです。もちろん、永年かかって紡ぎ出しつつある大きな物語が、天童さんの目の前にあることは重々承知していました。
 新書という身軽なメディアであることの特性を生かすつもりで、「『永遠の仔』や『家族狩り』などを書く過程でお調べになったこと、読者からの反応によってインスパイアされたことなどを書かれたら、長大な物語をお書きになる『箸休め』にもなるのではないでしょうか」と提案してみました。
 当然、「いま、そういうものを書くゆとりはありません」という答が返ってくると覚悟していました。ところが、意外なことに、天童さんは「考えさせてください」と真剣な顔で言ってくれたのでした。
 天童さんに新書執筆を依頼したぼくは、しばらくして思いがけない返事をもらうことができました。それは、「ぼくは物語が好きだし、いま若い人たちに届けたいのは物語なんです。物語を書いてもいいですか」というものでした。ぼくが快諾したのは言うまでもありません。
 この時の気持ちを、後に天童さんはこのように語っています。 「最初に松田さんと話したときにも、そんなに構えるのじゃなくて、自分がこれまで得てきた物語の技術を生かして、いま必要なテーマをそれに絡めて、すっと軽く物語をさせてくださいという感じでした。昔あった渋谷のジァン・ジァンみたいな、小さな劇場で若い人たちにお話をするというようなスタンスでした」
第4回

『包帯クラブ』が生まれる

 こうして、後に『包帯クラブ』と題される新しい物語を紡ぎ出す作業が始まったのです。ぼくとしては、2006年2月の「ちくまプリマー新書」創刊1周年に刊行したいとお願いしました。天童さんは誠心誠意努力してくださり、05年12月はじめには最初のまとまった枚数の原稿をもらうことができました。
 実際に、天童さんから原稿を受け取ったとき、感無量で涙がこぼれそうになりました。それと同時に、何か大事なものを託された、手渡されたという確かな感触があったのです。埴谷雄高さんがよく語っていた「精神のリレー」のようなものです。さっそく、はやる気持ちを抑えながら、原稿に向きあいました。
「わたしのなかから、いろいろ大切なものが失われている。……」
 書き出しの一行から、引き込まれてしまいました。天童さんから、あらすじは聞いていたのですが、そこには、ぼくが想像していたよりも、はるかに広く深い世界がひろがっていました。ワラ、タンシオ、ギモ、そしてディノ、それぞれが生きがたい思いを抱いている、彼らの切なさが痛いほど伝わってきました。そして、心の傷に「包帯を巻く」場面が、それぞれ美しく描かれているのが印象的でした。いろいろな場所に巻かれた包帯は、リボンのように、ハンカチのように、旗のように、美しくはためいていました。
 さらに、軽妙な「未来からの報告」が入ることで、彼らが傷を克服して大人になることができたんだ、ということが伝わってきて、優しい気持ちで読み進むことができたのです。『永遠の仔』や『家族狩り』のように重い作品ではありませんが、それだけにより多くの読者に届けられるような予感がしました。
 天童さんは、当初は120枚ぐらいの中編小説を書くつもりだったようですが、書き進むにつれて、しだいに構想がふくらんでいって、最終的には260枚の長編小説になりました。それだけにとどまらず、天童さんのなかでは、この物語の世界はさらに大きく広がりつつあるようです。天童さんは、このように語っています。
「『包帯クラブ』は、たぶんロングランできる内容のものかなという感覚は、いまはあります。読者との今後のやりとりというか、どんな声が返ってくるかによるんですけれども、育ててもらえる可能性はすごくある。背中を押してもらったりすることによって、いかようにでも伸びていく、成長しうる物語の根っこが詰まっているなという気がしています」
 06年2月、『包帯クラブ』の刊行にあわせて、「王様のブランチ」の本のコーナーでは特集を組みました。天童さんは、「『王様のブランチ』には友情を感じています」と、出演を快諾してくださり、緻密に書き込まれた『永遠の仔』の創作ノートも初めて公開してくれました。
 天童さんへのインタビューは、予想以上に充実したものになりました。それを見て、「ブランチ」のスタッフは特集を二週連続にしてくれたのです。こうした熱意が結実して、密度の高い番組ができました。
 自他共に認める天童ファンの関根勤さんは、VTRを見て、「面白さの源が、今日わかりました。すごいですね、書くまでの準備が。『包帯クラブ』は、天童さんの入門にはいいですよ。こちらから読んで、『永遠の仔』の方にいくといいですね」と語ってくれました。また、優香さんは、「痛みって、人と比べられないじゃないですか。だから、もっとつらい人も、傷を負った人もいっぱいいるから、自分のは傷だって言っちゃいけないのかなって思っていたんです。でも、そうじゃなくてもいいんだよ、ということを感じました。本当にちっちゃいことでも、自分の傷だと認めてもいいんですね。本当に包帯巻きたくなりました」とコメントしてくれました。寺脇康文さんは、「登場人物たちが本当にいるんじゃないかという感じがして、この子たちの将来を全部見たいなっていう気になりました」と締めてくれました。
第5回

堤幸彦監督と映画『包帯クラブ』

『包帯クラブ』が刊行されると、案の定、映像化のオファーが相次ぎ、十数社が名乗りを上げました。それぞれの会社から企画書などを出してもらっているとき、「王様のブランチ」の中野匡人プロデューサーが「TBSも手を挙げてもいいでしょうか」と尋ねてきました。「もちろん」と答えると、しばらくして、ドラマのプロデューサーである植田博樹さんから「映画化の企画書」が届きました。それは、常識的に言えば、企画書とは言いがたいものでした。そこに書かれていたのは、ほとんど植田さん自身の少年時代の「心の傷」についての思い出だったのです。この型破りな企画書を読み終わったとき、天童さんは「映像化はこの人に任せる」と言い切ったのでした。
 植田さんは、監督の第一候補に、「TRICK」や「明日の記憶」を撮った堤幸彦さんをあげていました。そして、熱心に映画化を進めている数社のなかでも、とりわけ熱心だったのがオフィスクレッシェンドの神康幸さんでした。堤監督がこの会社の所属だということで、とんとん拍子に企画の一本化が進みました。筑摩書房も、原作を大事にするため少額ながら出資し、ぼくも製作委員会に参加しました。
 キャストも次々に決まっていきました。ディノ役に、「誰も知らない」でカンヌ国際映画祭主演男優賞を最年少で受賞した柳楽優弥さん、ワラ役には石原さとみさん、タンシオ役には貫地谷しほりさん、ギモ役には田中圭さんと若手の芸達者が揃いました。ロケ地も高崎と決まり、2007年の年明けのクランクインから快調に撮影は進んでいきました。
 1月中旬、天童荒太さんとぼくは高崎を訪れ、映画「包帯クラブ」の撮影風景を見学し、ロケ地を歩いてみました。その帰り道、天童さんは、「彼らの演技を見たり、ロケ地を回っていると、ぼく自身が挑発を受けているような感じがする」と嬉しそうに話していました。
 4月末になると、初号試写が行われました。映画が始まると、予想通り、「ワラ」「シオ」「ディノ」とお互いに呼び合う姿を見ているだけでウルウル、小説と同じ台詞にウルウル。後で、隣席の天童さんに「松田さん、ずっと泣いてましたね」と言われてしまいました。
 それからは映画公開に向けての宣伝・パブリシティが急ピッチで進められていきました。「王様のブランチ」では本のコーナーはもちろん、映画のコーナーでもとりあげてくれました。TBSの植田博樹プロデューサーは、「映写機担いで、高校行って映写して廻りたい」と話していましたが、その夢を実現しようと、「試写会を学校で開きませんか?」という告知をしました。応募してきた全国の学校の中から、神奈川県立大磯高校が選ばれ、ロケが挙行されました。夕闇が迫るころ、約300名の高校生の前に、LiLiCoさんや谷原章介さんが登場して雰囲気を盛り上げ、映画が上映されました。中庭に設営された大きなスクリーンの前に蛾が飛んでいたり、空を見上げると、遠くに飛行機が飛んでいたり、野趣に富んだ映画会を満喫できました。この日の様子は、9月はじめの「ブランチ」で映画コーナーの特別バージョンとして流されました。
 こうして9月15日に映画は公開されました。作品の評価は高かったのですが、残念ながら興行成績は芳しくありませんでした。オフィスクレッシェンドの神康幸さん、「ブランチ」の中野匡人プロデューサーから「天童さんに申し訳ない」というお詫びの言葉が届きました。天童さんは、こう応えてくれたのでした。 「謝ることはない。原作者が誇りに思える映画なんて、そうそう作られるものではありません。……数字はもちろん大事ですが、数字でははかれないものもあります。大丈夫です。我々のクラブは、胸の張れる仕事をしました」
第5回

堤幸彦監督と映画『包帯クラブ』

 ところで天童さんは、1999年に『永遠の仔』を発表して以後、次の大きな作品に取り組むべく、少しずつ歩を進めていました。2001年頃から、後に『悼む人』という作品に結実する物語の執筆準備を始めていたのです。そして、06年から2年間、「オール讀物」で連載し、それに手を入れたものを、08年の夏の終わりに読むことができました。
 主人公は、新聞などの死亡記事を見て、亡くなった人をその場所で悼むために、全国を放浪している坂築静人。それに、人間不信に陥っている週刊誌記者蒔野抗太郎、夫殺しの罪を償い出所したばかりの奈義倖世、末期ガンに冒されている静人の母巡子などが静人をめぐって息詰まるようなドラマを展開します。読み終わった時、ぼくは、興奮冷めやらないままに、感想を書いて天童さんに送りました。
「この物語が語りかけてくるのは、『あらゆる人間の死を悼めるか』という、とてつもなく重いテーマであり、息苦しくなるような場面も沢山ある。それでも、常に爽やかな風を感じながら読み進んでいけるのは、作者が深いところで人間を信頼しているからだろう。それは、絶望のどん底までひたすら沈んでいって、そこから浮上してきた、つらくて重いプロセスを経た後に生じた優しさなのだ」
 天童さんからは、すぐに心のこもった返事が届きました。
「感謝、感激、感動しました。本物の読み手に、しっかり届いたんだという安堵に、ずっと緊張しつづけて厳しく固まっていたこわばりが、ようやくふーっと溶けてきた心持ちです」
 その後、天童さんから「PR誌とWEBに掲載する対談の相手をお願いしたい」との依頼がありました。天童さんの創作活動の伴走者のひとりであると自負しているぼくには嬉しい知らせでした。そして、この対談の終わりに、天童さんは『包帯クラブ』にふれて、こう語ってくれました。
「発表の順番が逆にはなったけれど、『包帯クラブ』は実は『悼む人』から派生した作品です。人が心に負った傷に対し、重い軽いを安直に分けず、どんな傷もその人の大切な経験として尊重することで、すべての人、すべての生を公平に尊重していくことへもつながるんじゃないかという『包帯クラブ』のテーマは、『傷』を『死』に置き換えることで、そのまま『悼む人』のテーマにも通じています」
 こうして、構想から7年かかった力作『悼む人』は08年に文藝春秋から刊行されました。巻末の「謝辞」には「編集者・松田哲夫氏は常々の感想のみならず、内容に関する貴重なアドバイスもくださいました」と書いてくれたのです。
 この作品は第140回直木賞に輝きました。記者会見や授賞式のとき、「賞は選ばれるもの、授かるものだと思っています」と語る天童さんの晴れやかな笑顔が印象的でした。『永遠の仔』からの10年間を思い出しながら、この喜びを共有できる幸せを噛みしめていました。
 2012年11月、堤幸彦監督が『悼む人』を舞台にするというので、天童さんについて観にいきました。向井理さん、小西真奈美さんたちの、力のこもったお芝居に圧倒されました。この公演用のパンフレットでも、天童さんと対談をしました。
 このお芝居が上演されたころ、天童さんの四年ぶりの新作『歓喜の仔』上下巻(幻冬舎)が刊行されました。この物語は、終始描かれる暗い描写にもかかわらず、これまでの天童作品にはない、メルヘンのような味わいを残してくれたのでした。

松田哲夫(まつだ・てつお) プロフィール 編集者・書評家・アンソロジスト。40年にわたる筑摩書房在籍中、編集者として数々のヒット作を生み出した。
『包帯クラブ』はその一つであり、松田自身にとっても、特別な作品である。