待望の文庫化!単行本未収録回を大幅増補!!

ひみつのしつもん 岸本佐知子 著

奇想天外、抱腹絶倒のキシモトワールド、みたび開幕

2023年に22年目を迎えたPR誌「ちくま」の名物連載「ネにもつタイプ」から、既刊の『ねにもつタイプ』『なんらかの事情』につづいて、3冊目の『ひみつのしつもん』が単行本未収録回を大幅増補して文庫になります。著者は、文芸界隈で話題となっている『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』(ルシア・ベルリン著/講談社)をはじめ、海外文学の訳者として圧倒的な人気を持つ岸本佐知子さん。各回のイラストと装幀は、前2冊につづきクラフト・エヴィング商會。一度読めばくせになる“キシモトワールド”、多くのファン待望の一冊となります。いっそうぼんやりとしかし軽やかに現実をはぐらかし、机の上から宇宙の果てまで自在にひろがるキシモト流妄想術の技の冴えをとくとご覧ください!

 カード会社のホームページにログインしようとした。

 前にログインしたのがずいぶん前だったせいか、いつもとはちがう画面が出た。 〈お客さまの身元確認のため、秘密の質問の答えを入力してください。〉という文言があり、 〈子供のころの親友の名前は?(ひらがな四文字以上)〉と質問が出た。

 ああはいはい、ユリチンね。懐かしいなあ。 〈ゆりちん〉と入力してエンター。

 エラーが出た。

 え。軽く動揺した。ユリチン。小学校のころいちばん仲が良かった。六年生のときなんか、ほとんど毎日遊んでいた。いっしょにマンガを描いた。映画館で『小さな恋のメロディ』を観た。電車に向かってラインダンスをした。毎日死ぬほど笑い転げた。たしかに親友だった。他に誰がいるというのだ?

 いやいや待て。小六よりもっと前の話かもしれない。そうか。とし子ちゃん。小二のとき隣の社宅に越してきた。同じクラスになって、毎日いっしょに下校した。家に帰ってからは必ずどちらかの家で遊んだ。そうだとし子ちゃんを忘れていた。 〈としこちゃん〉と入力してエンター。

 エラーが出た。

 額に汗が浮かんだ。とし子ちゃんでもない……?

 じゃあもっと前なのか?

 そうか子供っていったらやっぱり汚れを知らない幼稚園時代だよね。小学校なんて荒波にもまれて汚れっちまって、もうとても子供とは言えまい。

 サキちゃん。サキちゃんを忘れていた。幼稚園の年長のとき同じすみれ組だった。ぐずでいじめられっ子だった私に、サキちゃんだけは優しくしてくれた。具体的にどう優しかったのか、もうあんまり覚えていないけれど、でもここまで来たら他には考えられない。サキちゃんでお願いします。

 エラーが出た。

 動悸が激しくなってきた。

 いったい誰だったのか私の親友は。

 だがたしかこの質問は、〈母親の旧姓は?〉とか〈ペットの名前は?〉等々の候補の中から自分で質問を選んで答えを設定したのだ。つまりそれくらい自分にとっては自明の答えだったはずなのだ。

 私はげんこつで頭をぐりぐり締めつけた。頰を平手で叩いた。心頭滅却して般若心経を唱えた。そうするうちに暗闇に光が射すように、かすかな記憶がよみがえった。

 そうだ。思い出した。あれは幼稚園よりもっと前なのかそれとも小学校あるいは中学なのかいっそその全部なのか、寄り添うようにつねにいっしょに過ごした親友が、確かに私にはいた。ありとあらゆる遊びをいっしょにした。石蹴り、ゴム跳び、あやとり、サッカー、すごろく、万引き、しりとり。セミをつかまえ、池で泳ぎ、花火を打ち上げ、サツをまき、密航し、スイカ割りをし、雪だるまを作った。手をつないで空を飛んだ。残像を替え玉にした。絵の中に隠れ、時空を旅し、万里の長城を越えた。楽しかった。あんな大切な親友の存在を忘れていたなんて。その子供の名前は。名前は。

 かすむ目でモニターを見たら、質問はもう次の 〈好きな食べ物は?〉に変わっていた。

 私はそっと画面を閉じた。

 とてつもなく大切な何かに永遠にログインしそこねたことだけが、はっきりとわかった。

(本書より)

ひみつのしつもん 岸本佐知子 著

岸本佐知子(きしもと・さちこ)

上智大学文学部英文学科卒業。翻訳家。主な訳書にルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』、ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』、ニコルソン・ベイカー『中二階』、ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』、リディア・デイヴィス『話の終わり』、スティーヴン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』、ジョージ・ソーンダーズ『十二月の十日』、ショーン・タン『セミ』、アリ・スミス『五月 その他の短篇』。編訳書に『変愛小説集』、『楽しい夜』、『コドモノセカイ』など。著書に『気になる部分』、『ねにもつタイプ』(講談社エッセイ賞)、『なんらかの事情』、『死ぬまでに行きたい海』など。

文庫

ひみつのしつもん 岸本佐知子 著

岸本佐知子

ひみつのしつもん

もっとくらくら、ずっとわくわく、一度ハマったら抜け出せない魅惑のキシモトワールド!
『ねにもつタイプ』『なんらかの事情』に続く「ちくま」名物連載「ネにもつタイプ」第3弾!
文庫化に際して単行本未収録回を大幅増補‼

刊行日:2023年11月9日 定価:792円(10%税込)
ISBN:9784480439277

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単行本

ひみつのしつもん 岸本佐知子 著

岸本佐知子

ひみつのしつもん

刊行日:2019年10月9日 定価:本体1760円(10%税込)
ISBN:9784480815477

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講談社
エッセイ賞
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ねにもつタイプ

ISBN:9784480426734  定価:本体682円(10%税込)
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なんらかの事情

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ISBN:9784480433343 定価:本体682円(10%税込)
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