ねにもつタイプ 岸本 佐知子 著
「ねにもつタイプ」好評発売中 とびっきり面白いショートショートのような、不思議な味わいをもつ、これまでに類のないエッセイ。
-
ねにもつタイプ
岸本 佐知子 著
定価:本体1500円+税 - 観察と妄想と思索が渾然一体となった表現は、静かな狂気を孕んで虚実皮膜の間に分け入り、想像を超えた世界の扉を開く。 きわめてシリアスな語り口ながら、読み進むうちに、ふつふつと笑いがこみあげてくる。
-
ねにもつタイプ 文庫版
定価:本体682円(10%税込)
中学、高校とつながった女子校に通っていた。
人生のかなり重要な時期をそこで過ごしたというのに、何だか断片的なことしか思い出せない。
制服がなかったのでみんなでたらめな服を着てきて、中には下駄にハッピ、腐った学帽などという者もいたこと。
制服がないかわりに校章をつける決まりになっていたが、それすらつけていない者が多く、月に一度のバッジ検査があるにはあったが、廊下を注意深く探せば必ず一つや二つは落ちていたのでそれを拾ってつけて事なきを得たこと。
友人数人と「何重顎までできるか競争」をやっていて、顎の筋肉が攣って死にそうになったこと。
地理の授業中にクラスの半数以上が早弁をし、あげくにその日のお茶当番が匍匐前進で給湯室までお茶の入ったヤカンを取りに行ったこと。
物理のテストの学年平均点があまりにも低かったため、物理の先生が歯ぎしりして奥歯が折れたこと。
女子校なのにトイレが尋常でなく汚く、ついにある日緊急全校集会が招集され、お掃除のおばさん数名がトイレ掃除のつらさ大変さを壇上から切々と訴えたが効果がなかったこと。
ある年の国語の入試問題で、文中の「おいそれとは○○できない」と同じ用法の 〝おいそれ〟 を以下より選べ、の選択肢の一つが「おいそれ取ってくれ、大島君」であったこと。それが校長先生の名前であったこと。
それからそう、みんな呼び名が変だったこと。
たとえば山本だから〈ヤマちゃん〉だとか、美知子だから〈みっちゃん〉だとか、〈サユリ〉とか〈ケイコ〉とか〈ユカリ〉とか、そういう素直なネーミングの人は少なかったような気がする。
たとえば〈シモちゃん〉と呼ばれていた子がいたが、名前のどこにも「下」の字はつかなかった。冷蔵庫のコマーシャルの「霜取り博士」の真似が上手かったので、そう呼ばれるようになった。
〈ドリャ〉という子もいた。「ドラキュラ」という言葉をうまく言えず、その称号が与えられた。
〈三度笠〉。下の名前の「美登里」が三度笠っぽい、という理由から。
〈ポポコ〉。色白で、何というかもうポポコとしか言いようがなかったから。
〈男体山〉。これは私がつけた。申し訳ないことをしたと思っている。
〈物〉。顔がおにぎりに似ていたので最初は〈おにぎり〉と呼ばれていたが、これが進化の最終形。
〈にょら〉〈のから〉〈きゃんら〉〈フニャワラ〉。名前がニャニュニョ変換されてこう呼ばれるようになった、そのほんの一例。他に〈ウエブー〉〈ヨシブー〉といったブー変換の一族もいた。
〈とつろ〉〈ベッペ〉〈バニホ〉〈プルプル〉〈アビ〉〈エビムシ〉〈ギャアマ〉。こうなってくるともう由来も経路もわからない。
あの学校を卒業してからもう何十年も経つ。娘が同じ学校に入った、という人も少なくない。みんないい大人だ。それでも、会えば一瞬で当時の名で呼び合う。懐かしくもあり、異様でもある。
ところで、ここに挙げた中には私の呼び名も入っている。
どれかは秘密だ。
(きしもと・さちこ 翻訳家)