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第三回 エリス――悲劇のヒロイン |
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恋の始まり
豊太郎は立身出世の志に燃えてドイツにやって来ました。その若く独身の彼にとって何が危険なのかは十分自覚していたはずです。周囲からも様々な注意があったでしょう。そのために臆病になっていたのです。しかし、この娘の視線は臆病という名のバリアーを突破し、彼のハートを射貫いてしまったのです。そこで彼は自分でも呆れるほどの大胆な行動に出ます。日本の封建的な社会と違って、ドイツの自由な空間でこそそれは可能であったと言えますが、それはきっかけがあってこそでしょう。彼は話しかけます。
何故に泣きたまふか。ところに係累なき外人は、かへりて力を貸しやすきこともあらむ。
これは「純情」な豊太郎にしては、かなり大胆かつ意味深な言葉です。何故なら後腐れのない(金銭的)援助が可能であるということですから。この申し出に対して娘は、
驚きて我が黄なる面をうち守りしが、
とあります。娘は彼の顔をじっと観察していたのです。そして、彼の申し出を受け入れることにしたのです。
娘は追い詰められていました。「今日の食」が無いことさえあったという程の極貧の生活の中での突然の父親の死。蓄えなどあるはずもないでしょう。娘はやむを得ず、上司である劇場の支配人・シャウムベルヒに当座の援助を申し入れたのです。ところがシャウムベルヒは代償を要求したのです。恐らく愛人にでもなれと言ったのでしょう。彼女はそれが嫌だったのです。腐れ縁となるよりも、と考えるのも無理からぬところでしょう。
初対面の豊太郎に対して娘は、「君は善き人なりと見ゆ。」と言います。これは好色な支配人の毒牙から逃れたい一心で、藁にもすがりたい心理の表れでしょう。同様の科白(「君は善き人なるべし。」)をもう一度言います。前者は表面的な儀礼的な段階で、後者は娘が決断を下したことを表しています。豊太郎は娘にとって最後のより所となったのです。
娘をこのような状況に追い込んだのは、こともあろうに母親でした。嫌がる娘をひっぱたいてまでシャウムベルヒの愛人になることを強要したのです。実の母とも思えない非道な親です。それとも貧しい暮らしの中で倫理感がマヒしてしまったのでしょうか。或いは世間の常識の埒外に生活する階層なのでしょうか。エリスは、可憐で夫に尽くす良妻タイプの女性として描かれています。あまりの落差、この親子関係には疑問が残ります。 |
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