次に「究」。こちらの冠も「穴」。また穴? では下の「九」はというと、「その身を折り曲げている竜の形」とあります(②)。穴の中の竜! ファンタジー? 解説には「穴の中で身をかがめ、窮屈な形で入り込むことを究といい、「きわめる、きわめつくす」の意味に用いる」とあります。
最後に「求」。これは「剝ぎ取った獣の皮の形」(③)。いかにも。「この獣の持つ霊の力によって……望むことが実現するよう求める」ところから、「求める」を意味するとのこと。
探究(求) ── それは、窮屈な思いをしながらも火をともし穴の中を深くさぐり求めきわめる、という意味になります。
人はなにかを求めて「穴」をさぐります。どの穴に入って、何を求めるかはそれぞれ違いますが、穴の中は暗闇ですから、たいまつが頼りになります。新しくスタートした、中高生向けノンフィクションシリーズ「ちくまQブックス」は、そうした探究のたいまつ(水先案内)になるはずです。多様な分野の先達のみなさんが10代の読者に説き起こす、そんな頼もしいシリーズなのですから。第1期は10点。さまざまな世界の扉が開きます。どこの扉を開くのか(どの穴を選ぶのか)、それは読者しだいです。
ちなみにQは「クエスチョンからクエストへ」という意味。クエストには探究のほかに「冒険の旅」の意味もありますね。ただしこのQuest、お姫様救出の旅ではなくて、「自分を探す旅」でもあります。いえ、探究学習をしたら将来が見えるとか、そう話は単純ではありません。とにかく興味を持って学ぶと、知識が広がり、読むべき本が見つかり、人とのであいが生まれ、さらに別のテーマが姿を現します。そうしているうちに、「自分は何者か」の淡い輪郭 ── アイデンティティが浮かんでくるのです。
ところで、中高生は本を読まない、と言われます。そう、彼らは「読書=物語を読む」と考えていますし、ノンフィクションという言葉も知りません(「評論文」とか言います)。こうした事態はなぜ生じるのでしょう。「読みたい本」とのであいがないからです。
清教学園では中学での卒業論文作成や、教室を本がめぐる「新書回転寿司」などさまざまな試みをしています。テーマを見定めた生徒たちは、例外なくたくさんの本を積み上げて、貪欲に読書を始めます。興味と本のであいがいかに大切かがわかります。「ちくまQブックス」と多くの子どもたちがであうのを願っています。それこそが、学び(洞窟探検)への旅立ちの、そして新しい世界の発見のきっかけになるはずだからです。