東さんは、そんなに死んだあと執着しそうもないタイプなのにこの設定だったから、意外だったな。
モノとして世界を眺めるというのを小説として書きたかったというのが、基本的な動機なんです。生前の自分が執着のある人を、モノになって眺めてみる、それも、自分がいないという設定で眺めてみると、世界がずいぶん違う。
恋愛モードのなかでは、どうしても、それは死後の浮気の監視みたいなものにならざるを得ない(笑)。親子関係においては、それは見守るという言葉に無理ないですよ。生きてたって親ってそういうところがあるでしょ。なんかやたら大量の米やら野菜やらが届けられたりね。入れた覚えのない折りたたみ傘が鞄の中に入ってるとか。そうするともう、親が折りたたみ傘になって——生きてるんだよ、生きてるときの話なのに——かってに俺の鞄に飛び込んできやがって、みたいな感じで非常にうざいわけなんだけどね(笑)。
ふーん。
母親に雨が降るよって言われてるのに、うるせえんだよみたいな感じで出ていくじゃない、思春期頃っていうのは。だけど実際に雨とか降ってきて、見ると折りたたみ傘が入っていて、柄のところに俺の名前がでっかく書いてある(笑)。もう、ぶちんって切れそうになる。
切れそうになるんだ(笑)。
それはいちばん、現実に近いですよね。
じゃあ息子がいちばん大事なんだ。
その言い方には語弊が(笑)。
だって、ワンポイントにしぼらなくちゃいけないんだよ(笑)。家のヤカンとか柱時計とかじゃないんでしょ。
まあ、その、「ロージン」のお母さんはあっさりしているから、長く居続けたくないと。で、夫にも行かない。
まあ、子どもの方がまだ不安だろうしね。
夫は大人だから大丈夫だろうと。
夫だと、見守るより見張るになるしね。
そうですね。夫の眼鏡を粉砕、じゃないけど、ぜったい本当によからぬものは見るんじゃないかな。穂村さんだって、奥さんに自分の眼鏡にとりつかれたらどう思いますか。
ここ、カットしてください(笑)。奥さんどころか、東さんにもとりつかれたくない。
わたしは、穂村さんにとりつくならいいかも(笑)。