浪速のスーパーティーチャー守本の授業実践例

第三章 俳句

冬三句

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c 冬深し柱の中の濤の音  長谷川櫂

 「冬深し」の句は難解句ですが、最初に季節と心情の有りようという関係を押さえるために、私はこの句の導入で、芭蕉の「秋深き隣は何をする人ぞ」という句を使いました。「秋が深まれば人恋しくて、隣のかすかな動きにも関心がゆく」ということなのでしょうが、そうすると冬が深まればどうなるのでしょうか、と展開するのです。

 冬はその天候の影響もあり、外出を避けがちになり、家に籠もりがちになっていきます。つまり秋よりも内省的になっていき、内へ内へとより関心がゆくというわけです。「柱」というのも家の中心ですから、内へという方向に合っているわけです。

 そして、また「音」が出てきましたね。「音」の効果については先述しましたが、子規「薪を割る妹一人冬籠もり」を例にとれば、薪を割る音が響き渡るということで逆に冬の静寂さが際だってくるように、この句の場合も「濤の音」が聞こえるほど静かであるということを示しているのです。しかし、「濤の音」が少し不自然に思えます。「波」ではなく「濤」なのです。「濤」というのは「激しい波」ですから、その音も激しくなるわけです。したがって、静寂とは少し矛盾があります。この俳句のヒミツのひとつはこれです。

①なぜ「濤」?――表現に寄り添う

 この句が難解な理由は、「柱の中」に「濤の音」がするということです。「柱」から音がするのでさえあり得ないのに、まして「濤の音」など論外です。しかし、この句からは不思議に絵空事ではなく、実際に作者が「柱の中」に「濤の音」を聴いたという実感が伝わってきます。冬の家の「柱」と「濤の音」との取り合わせの奇妙さに加え、この句に説得力を与えているものは何なのでしょうか。

 静かな冬、思いは内に内に傾いていきます。雪でも降っていればさらに静寂さは増していきます。本当の無音というのがあり得るのかどうかわかりませんが、静かになればなるほど、普段聞こえない音が聞こえてきます。蛍光灯の音、冷蔵庫の音、時計の秒針などが妙に気になる静かな夜がありますね。この時も、作者にはある音が聞こえたのでしょう。何の音かわからず作者はそれを探し始めます。そして、家の中心の「柱」に耳をあてたときその音が聞こえてきたのです。「聴く」というのは耳を傾ける、注意して聞くということですが、まさに耳を澄まして、集中して聴くとそこに音があり、さらに耳を澄ませると聞き覚えのあるような音。記憶の中にその音を探し求めたとき、そのかすかな音の形が見え始めます。それが「濤の音」なのです。柱の中の小さな音に、激しい「濤の音」を聞き分けた時の驚きこそ、この句の感動の中心なのです。じっと耳を澄ませて音の正体を探し、それが一気に激しい「濤の音」という形に思い至った時の驚きなのです。

 あり得ないはずの「柱」と「濤の音」という取り合わせに説得力を与えているのが、この発見・驚きなのです。つまり実感なのです。読み手もこの作者の発見の過程をたどることでその驚きを実感できるのです。

②なぜ柱の中――補助線を引く

 では、この「柱の中の濤の音」とは何なのでしょうか。これが次のヒミツです。

 木に聴診器を当てると「ゴー」という音がします。私が子どもの頃は、木が水を吸い上げている音で、木が盛んに活動している証であるといわれていました。しかし最近では、水を吸い上げる速度は緩慢で、その音は聞き取ることはできない、あの音は木の葉擦れの音、木の側の道路を走る車の音、などといわれているようです。そう考えると、柱に耳を当てたときに聞こえる音も幻聴とばかりいえない気がします。大きな家の太い大黒柱は、家や周辺の音を拾ってきているかもしれませんからね。

 ここではそういう現実的な問題ではなく、「柱の中」に音があるという作者の発見は、家の中心の柱、家の伝統を支えてきた柱にも脈々と流れる生命があるということなのでしょう。それは、冬に孤独感・寂寥感を持つ作者が、家に息づく歴史、それも激しく力強い流れを発見したときの驚きでもあります。これは個人と家、個人と共同体という近代論における図とも合致しています。そこで作者は、発見と驚きのうちに一瞬にして家の歴史に包み込まれてしまっているのです。

 そこで補助線です。

 三好達治(1900~64年)の詩に「雪」があります。

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降り積む。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降り積む。
(『測量船』)

 この2行詩の静寂で、すべてを包み込む雪の世界は、「太郎」「次郎」という歴史を背負った古典的な名前と相まって日本の風土に根ざして郷愁を誘います。そしてこの景色は、歴史と風土に身体全体が包まれたような居心地の良さをもたらすのです。「冬深し」の句が探し当てた世界とは、この「雪」の世界に共通するものだといえます。そう考えると、この音は幻聴とまではいえませんが、実際に聞こえてきた音というよりも、作者の「家」に対する心情が深く影響している音だともいえます。それは、作者が心のどこかに「雪」の世界に憧れを抱いていたからこそ聞こえてきた音であり、言い換えれば、それは作者の心の中の音とも言えるのです。木に聴診器を当てたときの音の中には、自分自身の血流の流れの音も聞こえる場合があるそうです。他に耳を澄ますことは、自身の心の声を聞くという逆説と符合して、これもまた面白い一致です。

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