ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 舞姫先生は語る第二回(2/5)

舞姫先生は語る

第一回 『舞姫』のモチーフについて
第二回 太田豊太郎の目覚め
第三回 エリス――悲劇のヒロイン
第四回 太田豊太郎と近代市民生活
第五回 『舞姫』の政治的側面
第六回 結末
鈴原一生(すずはら・かずお)
元愛知県立蒲郡東高等学校教諭

第二回 太田豊太郎の目覚め
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豊太郎・鴎外のドイツ留学

 さて、『舞姫』の中から豊太郎の「目覚め」の部分を具体的に考えてみます(以下、『舞姫』の本文は、筑摩書房版 高等学校用国語科検定教科書『精選現代文』によりました)。

大学のかたにては、幼き心に思ひ計りしがごとく、政治家になるべき特科のあるべうもあらず、ここかかれかと心迷ひながらも、二、三の法家の講筵に連なることに思ひ定めて、謝金を納め、行きて聴きつ。

 豊太郎と異なり、鴎外の留学目的は衛生学研究でしたから、ベルリン大学で法律学を学んだというのはもちろん虚構なのですが、この記述は看過できないことです。

かくて三年ばかりは夢のごとくたちしが、時来れば包みても包みがたきは人の好尚なるらむ。

 夢のように経ったというのは、異文化に対して強靭な精神力と探求心で立ち向かったことを示すものでしょう。「好尚」というのは『広辞苑』によれば、「このみ、嗜好」とありますが、そのような単純な意味ではないでしょう。儒教教育によって覆われていた封建的自我がドイツの自由な環境の中で、ヴェールをはがすように取り去られ、彼本来のヒューマンな自我が現れたと考えるべきでしょう。石川啄木は、評論『食ふべき詩』の中で「趣味」という言葉について、単なる好みなどという表面的な意味でなく、全人格の感情的傾向という意味である、と述べていますが、我々は辞書を引くだけは不十分であることに気づくべきでしょう。

すでに久しくこの自由なる大学の風に当たりたればにや、心の中なにとなく穏やかならず、奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表に現れて、昨日までの我ならぬ我を攻むるに似たり。

 鴎外が帰国後の明治二十四(一八九一)年、『衛生療病誌』(第二十一号)という個人誌に発表した「大学の自由を論ず」という文があります。

 余の独逸にあるや、博く大学々生及び曾て大学生たりしものに交り、其胸襟洒脱、風采掬すべきを見て、未だ曾て恍然自ら失せざることあらざりき。或は云く。彼邦仕学院(中学)の厳、能く之を致すと。余謂へらく。然らず、之を致すものは大学の自由なり。(中略)独り独逸の大学は、同じく政府の保護を受け、之が為に関渉せらるゝ所なきに非ずと雖も、英吉利の保守と仏蘭西の革命との間に立て、能く内部の自由を維持したり。(中略)聴講の自由と校外生活の自由とは大学自由の真相にして、大学自由は真成の男子、真成の学者を養成する最良淘汰法なり。之を備ふるものは誰ぞ。曰く独逸大学あるのみ。(「鴎外全集」第二二巻 岩波書店)

 この文章は、彼がベルリン大学の「大学の自治と学問の自由」を根本理念とする方針に心からの賛意を表したものです。『舞姫』にある「奥深く潜みたりしまことの我」とは、儒教教育によって覆われていた封建的自我のヴェールが取り払われ、本来のヒューマニスティックな自己が姿を現したということでしょう。鴎外に即していえば、養老館の教育によって形成された、津和野国学の日本中心主義、尊王攘夷・封建的秩序重視であり、それを取り去ったものは近代ドイツという自由な環境であり、個人主義・自由主義という思想的洗礼でした。「我ならぬ我」とは、このような封建的自我に覆われた、受け身の、ロボットのような自己の意志や感情を持たない存在です。

我が官長は余を活きたる法律となさむとやしけむ。

 「活きたる法律」とは、法律に通じ、それを駆使して仕事をてきぱきと処理する有能な官僚を意味するのでしょう。従来の豊太郎は、上意下達の官僚機構の中で精密な歯車として上からの命令に従って機能し、そのことに何の疑問も抱かなかったのです。

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