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第二回 太田豊太郎の目覚め |
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豊太郎・鴎外における近代的自我の覚醒
辞書たらむはなほ堪ふべけれど、法律たらむは忍ぶべからず。
豊太郎の母親は、彼を生きた辞書にしようとしました。所謂「ウォーキング・ディクショナリー」です。物事に精通し、聞けば何でも教えてくれるという便利な存在です。豊太郎は、これは我慢できるというのです。しかし、「生きた法律」としての生き方は我慢できない。なぜでしょうか。両者に本質的な違いはないでしょう。ロボット的な、非人間的な生き方という点では同じだからです。にもかかわらず「辞書」が我慢できて「法律」がだめとは、いかなる理由があるのでしょう。
ひとつは母親に対する遠慮があるでしょう。鴎外はこの『舞姫』が完成したとき、家族を集め、次弟の篤二郎に朗読させています。つまり、エリス事件はこのように解決したと家族の前で終結宣言をしたわけです。非人間的生き方を強いる官僚機構に対する批判はありますが、封建的家族制度に対する批判は回避されているのです。鴎外にとって母は神聖な、絶対的存在でした。ここに鴎外の限界、『舞姫』の限界があります。
「生きた法律」とは、法に通じ、それを駆使して、感情を交えず仕事をてきぱきと処理していく官僚を意味しますが、これは我慢できないというのです。その理由は、彼が法の本質を認識し得たからでしょう。法の本質とは、所詮体制の維持にあり、それに基づいて仕事をして行けば、「強きを助け弱きを挫く」という凡そ社会正義に反することをしなければなりません。ヒューマニズムの精神に目覚めた豊太郎としては耐えられないことです。これは明治二十一(一八八八)年以前の話です。欽定憲法である大日本帝国憲法が発布されたのは明治二十二年(一八八九)、それに基づいて帝国議会が開かれたのは明治二十三(一八九〇)年のことです。当時の法律がどのようなものであったか、その内容は推して知るべしです。ですから、法を厳密に適用していけば弱い者いじめになるのは必然です。
今までは瑣々たる問題にも、極めて丁寧にいらへしつる余が、このころより官長に寄する書にはしきりに法制の細目にかかづらふべきにあらぬを論じて、一たび法の精神をだに得たらむには、紛々たる万事は破竹のごとくなるべしなどと広言しつ。
従来の豊太郎は上意下達の官僚機構の中で、精密な部品として官長の命令どおり忠犬として働いて来ました。しかし、彼は命令どおりに動かなくなってしまいました。不良部品になってしまったのです。当然のことながら排除される運命にありました。「法制の細目」にこだわれば、かえって仕事に支障が出ることは容易に想像できます。そうなれば本来の趣旨が生かされないことになります。「法の精神」とは、法の本質ということであり、それを把握して逸脱しない程度に仕事をして行けば良い、むだな摩擦は回避するのが賢明であるというのが豊太郎の考えです。役人はえてして仕事熱心のあまり官僚主義に陥り勝ちであるからと官長に対して逆に指示しているのです。 |
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