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第二回 太田豊太郎の目覚め |
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また大学にては法科の講筵をよそにして、歴史文学に心を寄せ、
「法の本質」は体制の維持にあると分かってしまった以上、その研究に情熱を失ってしまったのは当然でしょう。彼が興味を持った「歴史」とは、人民が権力と闘って自由を獲得して来たという人間解放のプロセスであり、「文学」とは、封建的な制度慣習から人間を解放しようとする浪漫主義の文学です。
舟の横浜を離るまでは、あつぱれ豪傑と思ひし身も、せきあへぬ涙に手巾をぬらしつるを我ながら怪しと思ひしが、これぞなかなかに我が本性なりける。
今まで封建的自我のヴェールに覆われていた本来の自己が、ドイツの自由な環境の中で次第に表面に出て来たのです。漱石は封建道徳が生み出した典型的人物について『文芸と道徳』という講演の中で実に巧みに説明しています。
昔の道徳、是は無論日本での御話ですから昔の道徳といえば維新前の道徳、即ち徳川氏時代の道徳を指すものでありますが、其昔の道徳はどんなものであるかと云ふと、貴方方もご承知の通り、一口に申しますと、完全な一種の理想的の型を拵へて、其の型を標準として其の型は吾人が努力の結果実現の出来るものとして出立したものであります。だから忠臣でも孝子でも若くは貞女でも、悉く完全な模範を前へ置いて、我々如き至らぬものも意思の如何、努力の如何に依つては、此模範通りの事が出来るんだと云つたやうな教へ方、徳義の立て方であつたのです。(「漱石全集」第一一巻 岩波書店)
鴎外の場合、あまりに早熟で優秀であったがために、「完全な一種の理想的な型」が既に幼いころに形成されてしまって、それを壊すのに苦労することになったのです。彼の生涯は、彼の外側を多い尽くしている強固な鎧のような「理想的な型」との闘いでした。鴎外は、次のようにも言っています。
自分のしてゐる事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めてゐるに過ぎないやうに感ぜられる。その勤めてゐる役の背後に、別に何物かが存在してゐなくてはならないやうに感ぜられる。(中略)赤く黒く塗られてゐる顔をいつか洗つて、一寸舞台から降りて、静かに自分といふものを考へて見たい、背後の何物かの面目を覗いて見たいと思ひ思ひしながら、舞台監督の鞭を背中に受けて、役から役を勤め続けてゐる。此役が即ち生だとは考へられない。背後に或る物が真の生ではあるまいかと思はれる。(『妄想』「鴎外全集」第八巻 岩波書店)
彼が作品で証言している通りなのです。鴎外の近代的自我の覚醒と言ってみても、鎧の上へ新しい洋服を着たようなもので、所詮それは身に付かないのです。
鴎外は歴史小説『大塩平八郎』の中で、もし当時の社会秩序を維持しながら貧民救済の方策が平八郎に開かれていたらならば暴動は起こさなかったであろうと述べ、「平八郎の思想は未だ醒覚せざる社会主義である。」と規定しています。晩年、彼は山県有朋の意向を受けて、国家社会主義ともいうべきものを構想しています。若き日のドイツ留学の一つの成果と考えるべきでしょうか。
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