日本文学の声 作者の語り—物語(日本の小説)の読み方・教え方

はじめに

 あらゆる権威の排除をめざすポストモダニズムが、世界的な文字離れや文学離れを加速させている。活字化された言説が「権威」をもち過ぎた20世紀を反省して、人々は「書く」という行為そのものに、不信の目を向けているのだ。その結果、西欧のテクスト論では、そもそも書き残されたテクストの権威〈authority〉の源である作家〈author〉を否定する、「作者の死」という主義主張がなされ、従来の作家中心の読み方、つまり「作品論」や「作家論」から、読者が文学テクストを自由に扱おうとする「読者論」へと、文学論の中心を移した。

 前世紀末(といっても、それほど昔のことではない)日本にも定着したかに見える、この「ポストモダニズム」という風潮の中で、日本文学も、「作品そのものの権威」(作品論=そのエッセンスは「主題」を把握すること)や「作者の権威」(作家論=作品が書かれた「動機」を考えることなど)に重きを置かなくなった。結局、テクストの読み方は、読者の好きなようにすればいいという、「読者論」(読み手の自由)だけが残ったのだが、結果は、西欧の規範が禍して、今や日本文学がことごとく誤読されている。ここで分析する三浦哲郎『とんかつ』(1987)、中島敦『山月記』(1942)などは勿論、例えば漱石作品などは、ほとんど百年も読みそこなわれ続けてきている。どうしてこうなってしまったのか。

 中島敦が『山月記』と同時に発表した『文字禍』は、画期的な作品だったのだが、「文字化された言説への〈盲目的崇拝〉は国を亡ぼす」という主張に、だれも耳を傾けるものがいなかった。実は、いまだにいない。一例が、2008年春の東大国語入試で、『文字禍』を誤読した問題文が出題されたのに、いまだに誰もそのことを問題にしていないからだ(拙著『漱石の変身——『門』から『道草』への羽ばたき』筑摩書房 2009「第三章」参照)。

 日本語と日本文学は、もともと西欧の規範にはあわない言語であり文学なのだ。話し手(語り手・書き手)にしか「視点(ものの見方)」がない日本語は、「話し手(言語主体)」個人にしか、発話の権威も意味もない言語だから、日本文学のテクストは誰がどう書こうとも、書く人の「声」を聴かせるための「語り文」でしかない。だから原理的に、その「語り」のテクストから、書き手の「権威(声)」は外せない。外したら、あとには何も残らないのだから。

 一方、西欧語は「客観性」を前提に、自然科学的に世界を見ようとしてきた言語だ。その「客観」が疑わしくなったときに、モダニズムはポストモダニズムに移行せざるをえなかった。ところが、日本語は、西欧的な「客観」的機能をもっていない分、個人の発話には発話者の自由が確保されている。外からの権威に囚われないという意味では、「イズム」をつけるまでもなく、日本語及び日本文化は大昔から「ポストモダン(権威否定)」だったし、今もそうだ。一神教(西欧)vs.八百万神々(やおよろずのかみがみ)のように。

 ぼくはこのシリーズで、日本語と日本文学には明るい将来があることを若者たちに教えたい。「明るい将来」というのは、日本語が西欧語にはない「主観性」をもつからで、それが話し手(語り手・書き手)の「声」として説得力をもてば、一人ひとりの日本人にとって、自分なりにさまざまな表現が可能になる。したがって、文学の可能性——自分を変えるための実験的な試み——も、西欧の規範にとらわれないスタンスさえあれば、無限に広がっているはずなのだ。この西欧語(西欧文学)と日本語(日本文学)の差異については、三浦哲郎『とんかつ』や、中島敦の四部作『古譚』を扱う中で、少しずつ明らかにしてゆきたい。

 その過程で、日本文学が西欧文学とはその本質を異にするものであることが、理解してもらえよう。その時、日本語と日本文学の将来には新しい視野が開けるだろうから、教育の場でも日本独自の新たな冒険が始められる。漱石が百年前に考えたように、文学とは自分を変えるために冒険を試みる、優れて有効な手段なのだから。

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