山口尚
( やまぐち・しょう )山口 尚(やまぐち・しょう):1978年生まれ。京都大学総合人間学部卒業。同大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。専門は形而上学、心の哲学、宗教哲学、自由意志について。著書に『難しい本を読むためには』(ちくまプリマー新書)、『日本哲学の最前線』(講談社現代新書)、『人間の自由と物語の哲学』『幸福と人生の意味の哲学』(以上、トランスビュー)、『哲学トレーニングブック』(平凡社)、『クオリアの哲学と知識論証』(春秋社)など。
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人間は自由意志をもつのか。私たちが互いを責めたり罰することに意味はあるか。刑罰や責任をめぐって〈人間として生きること〉を根底から問う哲学的探究。
ひとを責めることは無意味?
責任は近代社会の虚構にすぎない?
自由意志をめぐる論争に決着をつける。
「人間として生きる」とはどういうことか?
人間は自由意志をもつ主体であり、過ちを犯した者が咎められ罰されることは、古くから共同体における基本的なルールと考えられてきた。一方、自由の存在を否定し「刑罰は無意味だ」とする神経科学や社会心理学の立場がある。はたして人間は自由な選択主体か。私たちが互いを責め、罰することに意味はあるのか。抑止、応報、追放、供犠といった刑罰の歴史的意味を解きほぐし、自由否定論、責任虚構論の盲点を突く。論争を超えて、〈人間として生きること〉を根底から問う哲学的探究。
序 責めることと罰すること―自由と責任の哲学へ
1(刑罰は何のために?―“応報”と“抑止”
身体刑の意味は何か?―“追放”の機能
刑罰の意味の多元主義―“祝祭”・“見せもの”・“供犠”・“訓練”)
2(応報のロジック
自由否定論
責任虚構論)
3(それでも人間は自由な選択主体である
責任は虚構ではない―自由と責任の哲学
自由・責任・罰についての指摘)
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