loading...

単行本

トーヴェ・ヤンソン

——ムーミン谷の、その彼方へ

ムーミン谷の源流をさぐる

ムーミン谷はなぜ生まれたのか。いったいかれらは誰なのか。その謎はトーヴェ・ヤンソンの生涯をたどると見えてくる。ヤンソン研究の第一人者による決定版評伝。

定価

3,300

(10%税込)
ISBN

978-4-480-83908-4

Cコード

0098

整理番号

2025/07/08

判型

四六判

ページ数

434

解説

内容紹介

ヤンソン研究の第一人者が
8年の歳月をかけて書き上げた
遺作にして、決定版評伝。

ムーミン谷はなぜ生まれたのか。いったいかれらは誰なのか。
その謎はトーヴェ・ヤンソンの生涯をたどると見えてくる。

===
「どこまでが事実で、どこからが虚構なのか。
これを問うてもあまり意味はない、と示唆していると考えることもできよう。創作は創作として評価すべきであって、モデル探しに意味があるとは思えないとも。だから、これまでわたしは、虚と実とを必要以上に同一視する読みを避けてきた。しかし、近年あらためてヤンソン作品を読みなおすうちに、作品のいたるところに、作者のアルター・エゴが見え隠れする気がしてきた。したがってヤンソンの生涯を語ることは、ひるがえって作品を語ることであり、逆もまた真であろう。と同時に、物語の内的ロジックを分析するさいに、作者の生とからめる解釈のさじ加減に細心の注意を払いたいと思う。虚と実の交わる境界領域にこそ、作者トーヴェ・ヤンソンのひととなりが現われでるかもしれない。

もとより、どんな作家でも大なり小なりそうなのだが、トーヴェ・ヤンソンという作家はとりわけ自己イメージの表象にこだわった創作者ではないのか。そして、それらは子ども時代の家族の表象、というより、きわめて明確な意図をもって再構築され、しかもいかにも無造作で自然な印象を与えるまでに入念に呈示された表象と切っても切り離せないと思う。

なんといっても、ヤンソンが生きた子ども時代の追想なくして、ムーミン谷やその住人たちに生命が吹きこまれることはなかった。よって、まずは虚構のムーミンの家族と実在するヤンソンの家族をかさねることから、
ヤンソンの生涯を語ってみたい。」
(「まえがきにかえて」より抜粋)
===

目次

序章 ムーミン谷の成分表
第1章 すべてはパリから始まった――一九〇五‐一四年(〇歳)
第2章 ヘルシンキにトーヴェと戦争がやって来た――一九一四‐一八年(〇‐四歳)
第3章 ヘルシンキのアトリエで育つ――一九一八‐三〇年(四‐一六歳)
第4章 シグネの仕事を引き継いでいく――一九三〇年(一六歳)
第5章 ペッリンゲの島でママとパパと夏をすごす――一九二〇‐三〇年(六‐一六歳)
第6章 ストックホルムで愉快な叔父たちとくらす――一九三〇‐三三年(一六‐一九歳)
第7章 テクニスで技術と自由を得る――一九三〇‐三三年(一六‐一九歳)
第8章 アテネウムが分断されていく――一九三三‐三七年(一九‐二三歳)
第9章 芸術家になりたい――一九三三‐三七年(一九‐二三歳)
第10章 パリとベルリン、ふたつの衝撃に見舞われる――一九三四年(二〇歳)
第11章 パリに留学しセーヌ左岸に両親の足跡を追う――一九三八年(二三-二四歳)
第12章 パリでアトリエを選ぶ――一九三八年(二三-二四歳)
第13章 ブルターニュの島で絵を描く――一九三八年(二三?二四歳)
第14章 ひとりでイタリアを旅する――一九三九年(二五歳)
第15章 『ガルム』でスターリンとヒトラーを描く――一九三九‐四五年(二五‐三一歳)
第16章 戦争が始まり、友人は決意する――一九三九‐四五年(二五‐三一歳)
第17章 家族がしずかに壊れていく――一九三九‐四五年(二五‐三一歳)
第18章 仕事第一主義をあらためて決意する――一九三八‐四四年(二四‐三〇歳)
第19章 小さなトロール、世に放たれる――一九三九‐四五年 (二五‐三一歳)
第20章 アトスと出逢い、言葉にめざめる――一九四三‐四七年(二九‐三三歳)
第21章 ヴィヴィカと出逢い、トリオが右往左往する――一九四六‐四八年(三二‐三四歳)
第22章 トゥーリッキとあたらしい世界へ――一九五五‐七〇年(四一‐五六歳)
第23章 シグネの旅立ちとムーミン谷の終焉――一九七〇年(五六歳)
あとがき

トーヴェ・ヤンソン作品および評伝 邦訳一覧
図版出典
編集附記

著作者プロフィール

冨原眞弓

( とみはら・まゆみ )

冨原 眞弓(とみはら・まゆみ):1954年生まれ。ソルボンヌ大学大学院修了。聖心女子大学名誉教授。専門はフランス哲学だが、トーヴェ・ヤンソンの研究者としても日本の第一人者。ムーミンコミックス全14巻、トーベ・ヤンソン・コレクション全8巻、『彫刻家の娘』『島暮らしの記録』などのヤンソンの訳書のほか、『トーヴェ・ヤンソンとガルムの世界』『ムーミン谷のひみつ』『ムーミンのふたつの顔』『ムーミンを読む』など、ヤンソンおよびムーミン関係の著書多数。他の著書に『シモーヌ・ヴェイユ』『シモーヌ・ヴェイユ 力の寓話』、訳書にシモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』『根をもつこと』『重力と恩寵』などがある。2025年没。

スペシャルコンテンツ

どこまでが事実で、どこからが虚構なのか。

これを問うてもあまり意味はない、と示唆していると考えることもできよう。創作は創作として評価すべきであって、モデル探しに意味があるとは思えないとも。だから、これまでわたしは、虚と実とを必要以上に同一視する読みを避けてきた。しかし、近年あらためてヤンソン作品を読みなおすうちに、作品のいたるところに、作者のアルター・エゴが見え隠れする気がしてきた。したがってヤンソンの生涯を語ることは、ひるがえって作品を語ることであり、逆もまた真であろう。と同時に、物語の内的ロジックを分析するさいに、作者の生とからめる解釈のさじ加減に細心の注意を払いたいと思う。虚と実の交わる境界領域にこそ、作者トーヴェ・ヤンソンのひととなりが現われでるかもしれない。

もとより、どんな作家でも大なり小なりそうなのだが、トーヴェ・ヤンソンという作家はとりわけ自己イメージの表象にこだわった創作者ではないのか。そして、それらは子ども時代の家族の表象、というより、きわめて明確な意図をもって再構築され、しかもいかにも無造作で自然な印象を与えるまでに入念に呈示された表象と切っても切り離せないと思う。

なんといっても、ヤンソンが生きた子ども時代の追想なくして、ムーミン谷やその住人たちに生命が吹きこまれることはなかった。よって、まずは虚構のムーミンの家族と実在するヤンソンの家族をかさねることから、ヤンソンの生涯を語ってみたい。(「まえがきにかえて」より抜粋)

トーヴェ・ヤンソンとの交流

1989年8月 ストックホルムの書店でムーミン物語に出会う

1990年2月 トーヴェ・ヤンソンに未邦訳作品を翻訳したいと手紙を出す

1990年3月 ヤンソン来日、ホテルで初対面をはたす

1991年3月 ヘルシンキのアトリエにヤンソンを訪ねる

以降、毎年二度のペースでヘルシンキに行き、アトリエに通う

1991-99年 『彫刻家の娘』、『小さなトロールと大きな洪水』、「トーベ・ヤンソン・コレクション」全8冊、『島暮らしの記録』などを翻訳出版

1999年12月 ヘルシンキのアトリエにヤンソンを訪ねる。これが最後の訪問

2001年6月 トーヴェ・ヤンソン永眠

 

「単行本」でいま人気の本

旅に出たくなる本