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エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(ラ・ボエシ,エティエンヌ・ド・)
1530-63年。フランスの小都サルラ生まれ。早くにオルレアン大学に進学、法学とともに人文学への造詣を深める。54年にボルドー高等法院に評定官として着任、のちに同僚となるモンテーニュと友情を結ぶ。相次ぐ宗教争乱に対して、宮廷の宥和政策を支持し事態収拾に奔走したが、63年病に倒れモンテーニュに看取られながら世を去った。『自発的隷従論』は16歳か18歳のときに書き上げたとされる。
H.ラーデマッヘル(ラーデマッヘル,H)
1892~1969年。ドイツ、ヴァンズベク生まれの数学者。
リング・ラードナー(ラードナー,リング)
アラン・ジェイ・ラーナー(ラーナー,アラン・ジェイ)
フランク・ロイド・ライト(ライト,フランク・ロイド)
1867年、アメリカ合衆国・ウィスコンシン州生まれ。シカゴのアドラー=サリヴァン事務所勤務を経て独立。プレーリー住宅・ユーソニアン住宅などを通じ、水平に伸びた屋根が強調する平らかな外観、緩やかにつながりあう内部空間など、住宅デザインの刷新を先導。近代建築の巨匠のひとりに数えられる。日本にも、旧帝国ホテル、自由学園明日館、旧山邑邸(ヨドコウ迎賓館)などの作品を残す。1959年没。著書に、『自伝』(中央公論美術出版)など
H・ラウシュニング(ラウシュニング,H)
アーサー・O・ラヴジョイ(ラヴジョイ,アーサー・O)
1873-1962年。ベルリン生まれ。ハーヴァード大学でウィリアム・ジェイムズ、ジョサイア・ロイスらに学ぶ。アメリカ各地の大学で哲学の教鞭をとり、1910年から38年までジョンズ・ホプキンズ大学教授。1923年にはジョージ・ボアズらとともに「観念の歴史」クラブを主宰、学際的な学問分野である「観念史」を確立した。著書に『観念の歴史』(名古屋大学出版会)などがある。
C.R.ラオ(ラオ,C.R)
1920年生まれのインドの統計学者。カルカッタ大学で修士号を取得後、ケンブリッジ大学でフィッシャーに学び、博士号取得。元国際統計協会会長。著書に『統計的推測とその応用』(東京図書)などがある。
エルネスト・ラクラウ(ラクラウ,エルネスト)
Ernesto Laclau <br />1935年アルゼンチン生まれ。政治学者。同国での政治活動のため69年にイギリスへ亡命。現在、エセックス大学教授。主著に『資本主義・ファシズム・ポピュリズム』がある。
TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」(ラジオライムスターウタマルノウィークエンドシャッフルアフター)
良知力(ラチ・チカラ)
J・B・ラッセル(ラッセル,J・B)
バートランド・ラッセル(ラッセル,バートランド)
1872-1970年。イギリス生まれ。ケンブリッジ大学で数学・哲学を学ぶ。ホワイトヘッドとの画期的な共著『プリンキピア・マテマティカ』によって数学基礎論に貢献。記号論理学を大成するとともに存在論・認識論に適用し、分析哲学の始祖として二〇世紀哲学の流れを決定づけた。主著に、『外部世界についてのわれわれの知識』『心の分析』などがある。社会評論や倫理問題に関する著作も数多い。1950年、ノーベル文学賞受賞。
C・ラバット(ラバット,C)
P・ラビノウ(ラビノウ,P)
L・ラファエル(ラファエル,L)
グレッグ・ラフリン(ラフリン,グレッグ)
カルフォルニア大学にて博士号取得。国立科学財団の特別研究員として日本の国立天文台に在職していたこともある。現在、カルフォルニア大学サンタクルーズ校の助教授。
フランソワ・ラブレー(ラブレー,フランソワ)
(1483?-1553)フランスの作家・医師。モンテーニュとともに16世紀フランスを代表する文学者。トゥーレーヌ地方シノンに、弁護士の末子として生まれる。フランチェスコ会修道院に修道士として起居し、哲学・神学を学ぶかたわらギリシャ語を独習。1528年ごろパリに上る。30年秋、モンプリエ大学医学部に登録。32年にリヨン市立病院に勤務、医師・古典学者として第一歩を踏み出す。そのころ『パンタグリュエル』を発表。34年『ガルガンチュア』、46年『第三の書』、52年に『第四の書』を完成。
クリストフ・ラベ(ラベ,クリストフ)
エレン・ラペル・シェル(ラペル・シェル,エレン)
アメリカの調査ジャーナリスト。Atlantic Monthly誌を中心に、New York Times、Washington Post等、多数のメディアに執筆。著書に『太りゆく人類』(早川書房)他。