#2 「インテグリティ」を持って英語を話す
横山雅彦(2022年6月13日 更新)
英語で最大の褒め言葉とされるのは、a person of integrity(インテグリティの人)です。integrity(インテグリティ)を日本語に訳すのは非常に困難です。「誠実さ」「高潔さ」「清廉さ」「品位」、さまざまな訳語を当ててみても、いまひとつ、しっくりきません。あえて訳すなら「人格の一貫性」です。Aという場面とBという場面で言動が変わることなく一貫している人、それがa person of integrityです。
よく英会話を学ぶ人が、「英語では違う自分になれる」と言います。日本語ではおとなしいのに、英語になると急に人が変わったようにおしゃべりになり、明るくなれる。日本語をしゃべっているときと英語をしゃべっているときでは、まるきり人格が変わってしまう。だから英語を話すのは楽しいというのです。そうした英語学習の効用を熱心に説く指導者もいます。しかし、僕はそれはあくまで英語(外国語)を「記号的」にしかとらえないごく初歩的な段階の英会話であり、真のコミュニケーションを目指すなら、やがて脱却すべきあり方だと思います。誤解を恐れずにあえて言えば、僕はハノンの仲間であるみなさんには、そうした「記号的」な英会話から一歩進んで、どうかintegrityのある英語、integrityのある英会話を目指してほしいのです。
30年以上も前、京都のECC外語学院で講師として働いていたときのことです。当時は、パソコンどころか、まだワープロが普及し始めたばかりの頃で、出欠の管理はクラスごとの手書きの名簿で行っていました。ある日、全日制の専科の女性講師が、「これを見てほしい」と、自分のクラスの名簿を見せてくれました。彼女が指差した先には、ある生徒の名前があり、そこには二本の線が引かれ、ボールペンでpassed awayと記されていました。事務局の男性日本人スタッフによる作業でした。僕は思わず言葉を失いました。彼女もきっと同じ気持ちでいたたまれず、たまたまそばにいた僕に共感してほしかったのだろうと思います。
pass awayはdieの丁寧な言い回しで、日本語では「逝去する」に当たります。diedではなかったのだからいいではないか、と思われるかもしれません(diedなら論外で、僕たちはそのスタッフに激しく抗議したでしょう)。しかし、そのスタッフは、果たして日本語でも同じことができたでしょうか。もちろん業務として名簿から削除しなければならず、やむを得ず名前に線を引くことはしても、そこにわざわざ「逝去」と書き込んだでしょうか。ECCでは複数の講師が担当していましたから、英語ネイティブもこれを見ており、きっとわれわれ以上の違和感と嫌悪感を抱いたはずです。
決してその日本人スタッフに悪意があったわけでも、また常識が欠けていたわけでもありません。単に、彼にとっての英語が「記号的」で、リアルを伴っていなかっただけなのです。それは構造的には、ちょうど英語を習い始めたばかりの男子中学生が、喜んでfour-letter wordを口にする感覚と同じです。日本語(母語)では決して口にはできない言葉でも、リアル感のない英語(外国語)では平気で言えてしまう。英語なら、なんとなくカッコよく、記号のように使えてしまうのです。
有名人の訃報があると、SNSではいっせいにR.I.P.という文字が流れます。Rest in Peace(安らかに眠れ)の頭文字を取ったものです。驚くのは、英語学習者だけではなく、英語が嫌いでふだんは遠ざけているような人が、こうした記号的英語だけは積極的に使っていることです。僕自身は、約50年英語を学んできていても、まだこの言葉で弔意を表したことがありません。どこまで行っても、僕にとって英語は外国語であり、どうしてもこの「命令文」の表現にリアルを感じることができないのです。
英語ネイティブのツイートであれば、R.I.P.たった一言でも、顔文字が使われていても、まったく違和感を覚えることはありません。リアルだからです。僕自身は使いませんが、日本人によるR.I.Pでも、どうしても英語で伝えたい、英語で伝えなければならないという一心から出たものなら、きっと奇異には感じないのだろうと思います。その一心こそ、integrityだからです。
英語最大の褒め言葉がa person of integrityだとすれば、英語学習者への最大の褒め言葉はan English speaker of integrityでしょうか。アポロ宇宙船の月着陸を同時通訳したことで知られる西山千先生は、日本語と英語でまったく印象が変わりませんでした。先生の「人格」が、日本語で話しているのか、英語で話しているのか、まったくわからないほど、英語と日本語において、しかもきわめて高いレベルで、統一されていました。NHKラジオ英語会話の講師を務められた東後勝明先生、同じくNHKテレビ英語会話を担当された國弘正雄先生、小浪充先生、松本道弘先生など、そのような英語の極みに行き着いた日本人を、僕は少なくとも数名知っています。
こうした先生方が見せてくださった英語の「道」は、生涯をかけて英語のintegrityを求め続ける学習者のあり方だったと思います。integrityのある英語とは、母語と一つになったリアルのある英語です。そして、生きている限り、その英語の道に終わりはありません。母語を使って生き、そこで知的成長を求める限り、死ぬ瞬間まで、その母語と一つになった英語の求道も続くからです。
英語のintegrityは、もちろん語彙や文法、表現の習熟と相関しています。単語や表現が増え、使える英文法が増えるほど、英語のintegrityは高まっていきます。『英語のハノン』で日々鍛錬しているのは、まさにそのためです。しかし、それと同時に大切なこと──ある意味において、もっとも大切なこと──は、いみじくも上級コラム第1回で、中村佐知子先生が書いておられるように、「『英語のハノン』を飛び出すこと」です。『英語のハノン』を捨ててしまうのではありません。ピアニストが生涯「ハノン」に向き合うように、日本人である以上、ふだんは使わない英文法も錆びつかないよう怠りなく手入れし、「いざ」というときに備えて英語の口や舌を作っておかなければならないのは言うまでもないことです。そうやって毎日『英語のハノン』に取り組みながら、「その瞬間、その場所」における自分の精一杯の英語力で、英語を使う「生きた主体」とinteractして(交わって)いくのです。
逆説的ですが、interaction(交わり)の中でたくさん間違い、たくさん恥をかきながら、「伝わった!」という小さな感動を一つ一つ積み重ねていくことによってのみ、記号にすぎなかった外国語としての英語の単語や表現はリアルを得て、腹に落ちていくのだと思います。今われわれは、中村先生のグランドデザインによる『英語のハノン/フレーズ編』の制作に全力を傾けています。おそらく読者のみなさんの大半よりも長く英語を学んできたわれわれ自身の経験から、interactionの実践に道筋をつけたいという願いからです。どうか、ご期待ください。
みなさんのがんばりから力をいただきながら、僕もまた、an English speaker of integrityを目指し、死ぬ瞬間まで、この英語の無限の大道を歩いていきたい。その思いを新たにしています。
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