#7 スピーキングと英会話 ── 肯定可能命題を求めて
横山雅彦(2022年11月30日 更新)
『英語のハノン』の副題は、ご存知の通り、「スピーキングのためのやりなおし英文法スーパードリル」です。「スピーキングのための」であって、「英会話のための」ではないことに、どれだけのみなさんが気づいてくださっているでしょうか。ハノンは「スピーキングの本」であって、「英会話の本」ではない。実は、僕はこの副題こそ、『英語のハノン』の本質をもっとも端的に表していると、密かに思っています。
『英語バカのすすめ』(ちくまプリマー新書)の中で、僕は英語の「四技能」を「四角柱」にたとえました。本来、「読む・書く・聞く・話す」の四技能は、一本の柱の四面であり、どれか一つを単独で取り出すことは不可能です。よく「リスニングだけは得意」とか、「スピーキングは苦手だが、リーディングはできる」などと言う人がいますが、実はそれは「得意」でも「できる」でもなく、コミュニケーションの道具としての「言葉」の本質から考えると、きわめていびつで不自然なことなのです。
四技能を「一つ」にして習得する理想的で自然な方法は、柱の四面のうち、スピーキングを正面に据えることです。oracy(オーラシー)と言ってもいいでしょう。世界には3000とも6000とも言われる多くの言語が存在しますが、すべての言語は話されています。書かれていない(文字を持たない)言語はあっても、話されていない言語はありません。つまり、言葉の本質はオーラシーにあります。英語学習の中心は、あくまでスピーキング(オーラシー)にあり、他の技能は、常にスピーキング(オーラシー)に還元されるべきものです。スピーキング(オーラシー)に引っ張られて、他の三つの技能も上達していくというのが、英語も含めたすべての言語の正しく自然な習得のあり方です。
このように言うと、「日本で生活していたら英会話をする機会などない」という反論があるかもしれません。しかし、「スピーキング」は「英会話」とは違います。「英会話をすること」と、「オーラシーを中心に英語を学ぶこと」は、まったく別の問題です。スピーキングとは、文字通り「発話すること」、すなわち「音声にすること」です。より具体的には、英音法にしたがって、正しいリズムと発音で英語を発することです。話す相手がいようがいまいが、英会話をする機会があろうがなかろうが、音で英語を発することがスピーキングであり、それこそが四技能の正面でなければならないということです。
英音法を抜きにして「読み書き」だけをどれほど勉強しても、スピーキングができるようにはなりません。しかし、オーラシーを正面に据えれば、自然にリーディングやライティングの力は伸びます。文字通り「ただ黙々と」リーディングやライティングに励むよりもはるかに効率的に、です。
大学生に英文を「音読」させると、よほど長文読解(黙読)が得意な人でも、数字が出てくると、急につまずいてしまいます(すべての音節にアクセントを置く日本語のsyllabled-timedのリズムで読んでしまうことは、言うまでもありません)。たとえば、“The United States was established in 1776.”なら、1776に来た途端に音読が止まり、「いちななななろく」とか「せんななひゃくななじゅうろく」と、日本語になってしまいます。オーラシーを正面に据えていない証拠です。みなさんはどうでしょうか。心の中で、数字を日本語で読んでしまっていませんか。seventeen seventy-sixと、英語の音が心に浮かぶ、あるいは、自然に口をついて出てくるでしょうか。
実は、一般の英語ネイティブの「黙読」のスピードは、1分間に約300ワードです。これは、ちょうど「中級」や「上級」のジャック・マルジさんの音読スピードと同じくらいです。さらに、教養ある知識人は、1分間に500ワードを超えるスピードで英語を黙読します。いわゆる「速読」です。しかし、これも正しいリズムと発音あってのこと、まずマルジさんの音読スピードが身についていなければ、マルジさんの音読スピードを上回ることはできません。音読を極めなければ、音読スピードは超えられない。本当の黙読はできないのです。
ライティングまたしかりです。オーラシーの裏打ちのある話者が書く英語は、とてもリアルでメロディアス(旋律的)です。「この人は英語の音声(英音法)が苦手だろう」ということは、発音を聞くまでもなく、書いた英語を見れば一目瞭然です。文法的には正しくても、その英語から「音が聞こえてこない」のです。それは残酷なほど、はっきりわかるものです。
また、スピーキングを鍛えれば、リスニングが伸びるということは、すでに多くのハノンのユーザーのみなさんが、身をもって実感しておられるのではないでしょうか。「ハノン最大の効果はリスニングだ」という声もあります。「初級」を終えただけでも、TOEICのリスニング問題がスローに聞こえるようになった、一言一句はっきりと聞き取れるようになった、さらに言えば、リテンション(短期記憶)までできるようになった、という感想を、数えきれないほどたくさんいただいています。『英語のハノン』は、「上級」まで含めれば、ほぼ遺漏なく英文法の全体系を網羅しています。つまり、英文のありとあらゆるパターンを、いやというほど、正しい英音法で繰り返し発話するトレーニングを行うのです。「自分で発音できるものは聞き取れる」のは道理ですから、知らない単語(知識)がない限り、どんな発話も聞き取れるようになるのは、むしろ当然のことでしょう。
『英語のハノン』は、スピーキング(オーラシー)を正面に据え、英語の四技能を「一つ」にして習得しようという「総合英語」の試みです。ですから、スピーキングの本であると同時に、リーディングの本でもあり、ライティングの本でもあり、リスニングの本でもあります。『英語のハノン』で学ぶのは「英文法」ですが、それは「英音法」と不離一体のものです。ハノンで血肉化する「英文法と一体になった英音法、英音法と一体になった英文法」こそ、あらゆる英語学習の基礎であり、土台です。ピアノを弾く人が「ハノン」に生涯取り組み続けるように、英語学習の道中で常に立ち返って確認し、磨いておくべきものです。それこそが、英語の四技能を一本の四角柱としてまとめあげる原動力です。
最後に、僕が考える「英会話」について、述べておきましょう。英会話とは、その人が「その時点」で身につけている英語の四技能を総動員して行うコミュニケーションです。英会話には、その人の人格がにじみ出ます。聞いたこと、読んだこと、学んだこと、すべてが、その人の英会話になります。それは「主体」による醒めた「客体」の分析ではなく、「主体と主体」のinteraction(交わり)です。以前のコラム(#2「インテグリティ」を持って英語を話す)にも書いたように、「その瞬間、その場所」における自分の精一杯の英語力で、英語を使う「生きた主体」とinteractして(交わって)いくのです。
日本で暮らしていると、英会話をする機会が少ないのは事実です。しかし、ますますグローバル化するこの高度な情報化社会において、自ら求めていけば、いくらでも英会話ができることも、また事実です。オーラシーを正面に据えた英語の勉強に、必ずしも英会話は必要ないとはいえ、英会話ができれば、そこには無限のhorizonが広がっています。「主体と主体」が交わる実存的なコミュニケーションは、そのたびごと、必ず何かの変化を与えてくれます。自分自身が変わらないコミュニケーションは、真のコミュニケーションではありません。差別や偏見を乗り越えるのも、全人的なコミュニケーションです。
僕の恩師で、NHK「テレビ英語会話」の講師も務めた小浪充先生は、もし「平和学」と呼べるものがあるとするなら、その要諦は、ハーバード大学のロジャー・フィッシャーが提唱した「肯定可能命題」(yes-able proposition)であり、それに至る道が地域研究そのものだと述べておられます。肯定可能命題とは、文字通り「相手が“Yes”と言えるような命題」です。つまり、相手の国とそこに生きる人々が“Yes”と言えるような提案ができるほど、彼らをよく知り、理解する実践が地域研究であり、その意味で、地域研究とは平和に奉仕する学問だ、とおっしゃるのです。
アメリカ研究者であった小浪先生が英会話の番組を担当されたのは、英会話こそ先生の地域研究だったからです。一方的な「読み書き」だけでは、肯定可能命題に至ることは(不可能ではないかもしれませんが)困難です。『英語のハノン』のトレーニングを通し、スピーキングを正面に据えて英語を学んでいるみなさんは、世界中の英語話者と交わり、それぞれの場で肯定可能命題を求めることによって、平和に貢献することができるのです。それをしないのは、あまりにもったいないではありませんか。
『英語のハノン/フレーズ編』の副題は、「コミュニケーションのための英会話スーパードリル」です。そう、「フレーズ編」は「英会話の本」です。『英語のハノン』シリーズから、ついに「英会話の本」が登場します。「初級」から「上級」で鍛えたスピーキング力で、いよいよ肯定可能命題へとつながる英会話を実践していきましょう。どうか、期待してください。
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