第二章 小説
第二章 小説3 『山月記』 中島敦
③ まとめとしてこの作品が高校生のみならず、多くの人に受け入れられているのは、これまで述べてきたように、日常的に慣れ親しんだ物語の読み解き方、物語のコードで、愛の物語、あるいはその裏返しの物語として読んだり、自らの性情を原因とする因果律の物語として読んだりすることができるというところにもあると思います。つまり、「愛がないからああなったのだ。」「芸術に拘泥するからだ。」「歪んだ自尊心や羞恥心が引き起こした悲劇だ。」「こうはならないように、愛を貫くべし、誠実に生きるべし。」というわけです。 しかし、その読み解き方では、小説を理解できないのです。生徒には小説の読み解き方の大きな転換を要求する必要があります。そのためには、甘い夢とロマンばかりではない生の現実から目を背けず、現実を見つめ直す目を持つことが重要だと思います。 いつの頃もそうなのかもしれませんが、テレビや新聞等を見れば、いつも愛とロマンが満ちあふれています。スポーツの取り上げ方などその最たるもので、すべての快挙の背後には親子愛・師弟愛・夫婦愛・友情等の愛が存在しています。快挙の理由を本人の才能や、ましてや偶然などに求めるだけでは物足りないのですね。愛に求めなければ気が済まないようです。競技者などもそれらに乗っかって、愛とロマンのドラマを演じているようにも思えます。高校野球などは美しい敗者であふれています。安易な物語の読み解きのコードが現実にまで及んでいると思うと、滑稽なようであり、不気味な感じもします。 では、世の中が愛とロマンでできていると生徒は本気で思い込んでいるのかというと、そうともいえません。そこは現実的に、シビアに考えてもいます。「ドリームズ・カム・トゥルー」と口にするのは好きなのですが、どうも自分ではそれを心底から信じているようには思えません。至ってリアルに自分の限界については判断を下しています。現実に生きるということとはそういうことで、現実の重さと乗り越えがたい現実の壁も生徒は実感しているのです。 理想と現実、ロマンとリアル、建前と本音を無意識に使い分けをした生活の中で、私たちは現実から目をそらして、美しいが陳腐化した理想やロマンや建前に漠然と憧れ、それを逃げ場としている場合があります。しかし、小説の多くは、ありきたりの理想やロマンを描くことより、この現実の重さと乗り越えがたい現実の壁を主題としているのです。そのことに気づけば、『山月記』はいたって超現実的な出来事を扱っていますが、実は李徴の苦悩こそが、現実の壁の前で悪戦苦闘している人間の苦悩そのものであることが理解できるのではないでしょうか。
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