第一章 詩2 「二十億光年の孤独」 谷川俊太郎
② 構成を考える火星人は小さな球の上で 構成から見れば、「人類」と「火星人」は対になっています。「人類」のたとえば、人類が寝るように、火星人はネリリし、起きるようにキリリし、はたらくようにハララします。人類が、火星に仲間をほしがるように、地球に仲間をほしがります。ここまでは、火星人も生活し、孤独で仲間を求めているということです。そして、重要なことは、この対比には、次の、人類がくしゃみをするように、火星人もくしゃみをするという連想を伴うのです。 では、なぜ、火星人はくしゃみをするのでしょうか。この詩の授業では、いつもグループで話し合わせるのですが、この時は、活発に意見が出されます。面白いし、いろいろなイマジネーションもわくのでしょう。 「くしゃみが出る時ってどんな時?」という話になれば、そのグループ討議の中で、誰かが、人がうわさ話をした時、ということを言ってくれます。そこで、ひらめきが生まれます。人類が火星人のうわさ話をしているから、火星人はくしゃみをしているということに気づくのです。そして、そのひらめきは、次のひらめきを生むのです。 「詩人がくしゃみをするのは?」そう、火星人が同じように人類のうわさ話をしているからなのです。 最後の、「僕はおもわずくしゃみをした」には、想像上の仲間からの応答のようなものを感じたのかもしれませんね。一方的な火星人への片思いや空想に、ある一つの根拠を感じて喜んでいるのかもしれません。火星人と人類の距離が一気に縮まってしまいました。同時に、詩と生徒との距離もこれを契機として縮まってくるのです。ここからのグループの話し合いはもっと活発になります。そういう視点で、詩の見直しを始めるからです。そこから、また、新たな発見やイマジネーションが生まれてくるからです。 たしかに、くしゃみの原因をうわさ話だと特定することはできません。単なる俚諺です。ただ、詩人がくしゃみをした時、詩人にはそういうことがひらめいた、連想をしたということなのでしょう。ただ、そのひらめきや連想の中において、宇宙の孤独者同士の距離は近づいたということなのです。少し元気の出る驚きです。 また、なにも火星人とは限らず、孤独な魂がこの宇宙にいて仲間欲しさにうわさ話をしているかもしれない、という宇宙全体への連想も浮かんできます。仲間を求めて火星人を仮想した詩人にとっては、このくしゃみは、それらの存在の根拠にもならないのでしょうが、そういう想像に、ほんの少しの実感を添えてくれたということで、このくしゃみを喜ばしいものとしたのではないでしょうか。 この詩の最後は、このように、切実なようで、どこかユーモラスで、明るい驚きでしめくくられています。20行にも満たない詩でも、これほどの変化があり、驚きがあります。詩の面白さを発見し、実感する。これが詩の授業の醍醐味といえます。
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