第一章 詩3 「風船乗りの夢」 萩原朔太郎
② 補助線を引く――「幸(さいは)い」を求めて山のあなたの空遠く 幾山河こえさりゆかばさびしさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく この二つに共通しているのは、「幸ひ」や、自分の居場所を、異郷に求めてさまよっていることです。そこには、まず、「いま」「ここ」に対する違和感や、疎外感・嫌悪感があります。「いま」「ここ」には、自分の求めるものや、自分の居場所がないという強い現実否定があります。そのため、その現実から逃れようとして、自分の居場所を求めてさまようのです。 朔太郎にも、同じような現実への嫌悪感や強い現実否定があります。それ故に、「ここ」から、ふわりふわりと軽やかに飛び立つ気球に感情を移入していくのです。新暦ではなく旧暦への思い入れも、記憶の時計もぜんまいがとまり、これまでの記憶からの断絶を夢見るのも、「いま」を強く否定しようとする姿勢の表れかとも思えます。 ただ、ブッセや牧水は、「幸ひ」や、自分の居場所が、「ここ」にはないけれど、どこかあることだけは信じているように思えます。だから、異郷を求めてさすらい続けているわけです。しかし、朔太郎は二人とは異なります。 さうして酒瓶の底は空しくなり それまで、快調に気球を幻覚の中で飛ばしていても、さて、その気球の行き場所となると、「どこをめあてに翔けるのだらう」と、急にその幻覚がしぼんでくるのです。しぼむ理由を、酒がなくなったことが理由としていますが、要は具体的な「幸ひ」や「居場所」が、思い当たらないのでしょう。いや、そのようなものがあることが、夢想や妄想さえできないのです。
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