浪速のスーパーティーチャー守本の授業実践例

第二章 小説

2 『棒』 安部公房

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② 対比・対照関係を押さえる

 小説に限らず、評論や詩でも、対象の輪郭を明確にするために、対象と対応するものとの対比や対照、時には対立を通して表現することは多くあります。教室で作品を分析する時には有効な方法の一つです。この作品では、主人公が変身した「棒」をめぐる論議の中で、「主人公の世界」と「裁く側の世界」との論理が対比的に表現されています。そしてこの対比によって、主人公の世界の輪郭が鮮明になるとともに、主人公の新たな悲劇が浮かびあがってきます。

 上の方はかなり手あかがしみこんでいます。下の部分は相当にすりへっています。これは、この棒が、ただ道端にすてられていたものではなく、なにか一定の目的のために、人に使われていたということを意味すると思います。しかし、この棒は、かなりらんぼうなあつかいを受けていたようだ。一面に傷だらけです。しかも捨てられずに使いつづけられたというのは、おそらくこの棒が、生前、誠実で単純な心をもっていたためではないでしょうか。

 この「棒」の描写から、生前(「棒」になる前)の主人公の生き方が見えてきます。すり減るまで使用されても文句一つ言わず、自分の仕事に誠実な生き方です。教室では、もし主人公に座右の銘があるとすればどのようなものか、ということを話し合いました。

●努力は人を裏切らない。
●だれも見ていなくても仏様は見ていらっしゃる。
●やれなかった、やらなかった、どっちかな。
●幸せはいつも自分の心が決める。
●人間のほんとうの幸せとは、充実感のある生き方である。
●雨垂れ石をも穿(うが)つ。
●いいことは、おかげさま。わるいことは、身から出たさび。
●どのような道を歩くとも、命いっぱいに生きればいいぞ。
●後じゃできねんだよなあ、今のことは。
●Dream comes true.

 このように、生徒はこの主人公の生き方を的確に押さえることができます。努力をすれば夢はかなう、善行を積めばそれは必ず報いられる、という発想は、生徒の感覚と近いからです。それは、例の勧善懲悪風の因果関係的な世界観でもあります。

 しかし、主人公を裁く側は「棒」をそうとは見ません。「棒」は「棒」として平凡ではあるが、この単純な誠実さに価値を見出だそうとする学生に対して、先生の意見は辛辣です。生前どのようないい「棒」であっても、結局は「この棒は、棒であった。」として、平凡であることを罪としているのです。主人公が最も大事にしていた誠実や努力など無関係に、「棒」という平凡な存在自体に価値をおいていないのです。これは、生徒にとっては驚きです。努力や誠実に価値を見出ださない世界があり、しかも人間を裁く側の価値観がそうなのですから。

 人間を裁く側といえば、すぐに神仏の世界が想起されます。その世界では、人の世のことはすべてお見通しで、悪を見逃さず正しい裁きをしてくれる完全な世界というイメージを生徒は持っています。また、神仏の世界といえば崇高なものですから、天上に存在するというイメージですが、この小説に出てくる「裁く側」は、どうも地下にあるようです。人間の世界を「下界」ではなく「地上」と呼んでいるのですから、「地上」に対応するのは、「天上」ではなく「地下」の方でしょう。そういう意味では、私たちのイメージする「裁く側の世界」とは異なる世界です。しかも、「地上」に出現した「裁く側」の人々は、胡散臭い変装をして、どこか滑稽です。大体、人を裁く研修をしているということ自体「裁く側の世界」が完全でないことを意味しています。これが作者のねらいなのでしょう。「完全でないものに裁かれる人間」という構図です。

 そして、この主人公(棒)は裁かれるのですが、その罰がまた冷酷です。

 もし、全部の死人を、同じように裁かなければならなくなったりしたら、われわれは過労のために消滅せざるをえないでしょう。さいわい、こうした、裁かぬことによって裁いたことになる、好都合な連中がいてくれて……。」

 平凡であることが罪であるどころか、裁く価値さえないという扱い方です。ここには、人間が中心だと思っていたこの世界が実は「裁かれる側」で、しかも「裁く側」の世界は人間が思うような「正義」の世界ではない、という恐怖があります。自分たちの価値観が根本的に覆された、驚きと恐怖の世界です。

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