③ 変わる教室――「待てない」人たち
最近の傾向でもあるのですが、先述しました予備校的な読解法が教室にも顔を出してきました。私の職場は、定期考査も共通試験で、シラバスも担当者で共通していますから、個人的な好みで教材を選ぶことはないのですが、多くの学校では、授業担当者が独立していて、比較的自由に教材を選択していますし、必要に応じて教科書以外の教材を投げ入れたりもします。そうした中で予備校的な「線引読解法」で授業を展開しようとすると、自然とその読解法が適用できる教材を取り上げることになります。予備校なら結果をシビアに求められますので、その読解法だけで受験に対応するのには無理があるのは自明ですから、結局はそれ以外のアプローチを教え、フォローするわけですが、果たして教室ではどうなのでしょうか。
生徒や保護者の要望などがあり、早急に「成果」を期待される中で、善意ではあるのかもしれませんが、場当たり的で、見せかけのパフォーマンス重視の授業が増加しているような気がします。国語力の低下が危惧されていますが、今こそ時間をかけ、腰を据えて生徒の国語力を伸ばす授業が必要だと思います。国語力は急には養われないという自明のことを、生徒も保護者も教員も忘れ、生徒の中に読解力が熟成するのを待てないようになってきている風潮は、とても不幸なことだと思います。