浪速のスーパーティーチャー守本の授業実践例

第四章 評論

評論について

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④ 「直観」と「ひらめき」――論理と実感を結ぶ

 では、じっくり腰を据えた授業とは、どういうものでしょうか。また、「実感」についてです。

 理解が実感を伴うことを必要とするならば、理解にはそれなりの時間が必要です。また、論理の積み重ねが、例や比喩が実感とつながるのには、実は「直観」や「ひらめき」が必要なのです。論理とは相反するような「ひらめき」があるからこそ、論理が実感になるのです。これには時間がかかります。本文を見て線を引くだけでは、到底及びもつかない世界です。それまでの読書を含めた知識や、広い経験がものを言うのです。

 私の学校では、出来る限り多くの教材を取り上げることを基本としています。そして、それぞれに補助線を引き、それぞれの関連も考えていきます。また、補助線は評論同士を結ぶだけではありません。「第二章 小説」では、『待ち伏せ』と「身体論」とに補助線を引きましたが、小説には評論に、評論には小説に補助線を引くことが重要だと思います。論理と心情が結びついて初めて実感となって「腑に落ちる」のですから。

 読解力を支えている大きな要素のひとつに「直観」や「ひらめき」がある、というのが私の結論です。評論はもちろん、小説や詩にしても、結局は、「読めばわかる」「わかるからわかる」世界です。教員で自分の読解のためにマーカーを持って本を読む人などいないはずです。線を引いたり、近代論やポストモダン論を総動員して読むべきものではないのです。

 授業では、それまで抽斗に入れていた知識や経験の引き出し方や、補助線の引き方を学習し、自ら読み解く力をつけるしかないのです。これは一朝一夕にできることではありません。まさに腰を据えた取り組みが必要なのです。また、この「直観力」や「ひらめき力」をつけるためには、3年間を見通したカリキュラムとシラバスが必要になってきます。そこには、教材の吟味と補助線を引く力が教員側に必要であるのはいうまでもありません。

 それでは私の授業です。

●教材

  1. 「技術の正体」 木田 元
  2. 「異文化としての子ども」 本田和子
  3. 「水の東西」 山崎正和
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