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『伊勢物語』「筒井筒」(第二十三段)を読む

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●男の浮気か、それとも経済的事情か?

 年ごろ経るほどに、女、親なく頼りなくなるままに、もろともにいふかひなくてあらむやはとて、河内の国、高安の郡に、行き通ふ所出で来にけり

 ここで、男が高安の女のもとに通うのは、女の家が経済的に苦しくなったことが原因である、と書かれている。それは、男が女の経済的負担を少しでも軽くしようとして高安に通うことになったということなのだろうか。それとも経済的に貧しくなった女に見切りをつけて、男は高安に出向いたのか。言い換えれば、男は女を愛しているがゆえに高安に通うのか、貧しい女と一緒にいることがいやで高安に向かうのか。女を思うがゆえのものなのか、男の勝手な都合によるのか。そのあたりがどうもはっきりとしない。

 ただ「男、異心ありてかかるにやあらむと思ひ疑ひて」とある。この部分を読むかぎり、男の浮気と読む方が前後のつながりはよいように思える。男は自分が浮気をしているから、女もそうなのではないかと疑う、そう考えた方がこの箇所はわかりやすいように思う。

 はっきりしているのは、女の男を思う気持ちである。男の身を案じて、女は、

 風吹けば沖つ白浪たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ

と詠む。よその女の元に通う男に対し、嫉妬の気持ちを露わにするわけでもなく、夜道を行く男の身の上を心配する。そしてその思いが、男を再び自分の元へと引き戻すのである。歌を聞いて、男は河内へ行かなくなった。歌の力が男を変えたのである(すこしうがった読みをすれば、女は男が隠れているのを知った上で、この歌を詠んだという読みもできないわけではない。女の方が一枚上手だったという読みである)。

 歌の力が男を変えるということから考えれば、男の側にも女を思う気持ちが全くなかったわけではないであろう。しかしながら、ここでの男の有り様はどうにもはっきりしないのである。そして男が女の元に戻って以降の生活はどうであったのだろうか。二人して慎ましく暮らしていったのだろうか。女の家の経済的な困窮は心配しなくてもよいほどに回復したのだろうか。いや、ここは歌の力が状況を変えたという歌徳説話として読むべきであり、その後のことなど気にするべきところではないのか……。

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