4 断片とつきあう
気に入った語句や文を写す。手を動かせ頭を使ってことばを反芻する。このことによって生徒たちは自分の感じ方や考え方を作ったり崩したり補ったりして新たなものに変えていく。自分というものを確かめながら作り変えていく作業だ。生徒一人ひとりが「わたしのアンソロジー」をつくるのだ。
④は、「③についての感想であって全体の感想を書こうとしないように。そして、一行以上書くこと」を徹底させた。感想と聞くと生徒は作品全体の感想を思い浮べがちなので、とくにこれを強調した。
全体の中から自分が引用した語句あるいは文が目の前にある。これが強みだ。何を書いていいのか分からないと尋ねてくる子もいる。「君が引用したことば、文についてどう考えるのか」と助け船を出せば、一行以上は書けるし、大半は三~五行書いている。
ノートの提出率も初回こそ六割前後だったが、以後はコンスタントに七、八割台をキープした。好調なときは九割を越えたから、ノート点検もマゾヒスティックな快感の中での作業となった。
④を読んでオリジナルな表現や説得力のある意見の所に赤マルをつけて返す。作品に埋没してしまい熱中したあまり引用も感想も書けなかったという生徒にまだお目にかからないが、そのときは何と言い返してやればいいのか、いまから楽しみでもある。
作品としては「モモ」(M・エンデ)、「星をひろった話」(稲垣足穂)、「ドブネズミたちの優雅な旅」(C・W・ニコル)、「工場日記」(S・ヴェイユ)、「なんて素敵にジャパネスク」(氷室冴子)、「野ぶどうを摘む」(中沢けい)、「兎が自分でつづって語る生活の話」(E・シートン)「ぺいゔぉん上等兵」(井上光晴)を扱った。
「野ぶどうを摘む」を読んだときはほとんどの者がうつむいて一心に活字を追っていた。男子ばかりのクラスなのだが、ときどき顔を上げる生徒の頬がポッと紅潮している。若いんだなあとうらやましくもうれしくもなった。授業に手を焼いている日ごろの疲れがいくぶんか癒されたようだった。
このとき提出された電気科のM君のノートから引用しておこう。
「③ 私のことを好きなの、と顔を上げずに聞く久枝の身体の内で血管が細かく震えながら血を送っている。
④ ういういしくて、こっちまではずかしくなりそうな文だった。きんちょうすると心ぞうのおとがきこえてきたりするけど、この文は血管の中の血のことをいっているところが、すごい。きょうみぶかい文だった。たしかに顔をみたまんま、自分のこと好きなのときける人はあまりいないだろうと思った。そこらへんからかわいらしさが、うかがえた」 |