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第6回 教室に風を入れる |
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1 眠りの呪文
一昨年の春に、初めての異動でこれまでいた工業高校からとなりの普通高校へ転勤になった。が、幸いにも表現の授業をやりたいという提案が受け入れられ、ここでも「表現」の教科書準拠のワークブックを使用したり、小牧工業高校時代にわたしを含めた同僚四人で編集したアンソロジー『高校生のための文章読本』(筑摩書房刊)をテキストに、「『高ため』を黙読する授業」を展開することになった。
さて、初めての高校で、一学期の中間考査のあと、三年生の現代文で黙読の授業の試みを行なったのだが、二学期もまた中間考査のあとから「高ため」黙読授業を再開した。一学期は『高校生のための文章読本』の中からつまみぐいをしたが、今回は同書の第一〇章「さまざまな青春」の文例五本を全部読んだ。
高校生と言えば、青春真っ只中の時期である。あちらを向いても青春、こちらを向いても青春という青春飽和状態の環境の中にあって、高校の教師を続けていると、青春は○○だとお題目を唱える口癖が知らず知らずのうちに身についている。毎時間入れ代わり立ち代わり同じお題目を聞かされる生徒にしてみれば、耳にタコができて食傷気味になっているに違いない。
ときどき耳に入ってくる生徒の生の声が硬化した私の脳味噌に風穴を開けてくれる。かれらはいったいどんなことを考えながら毎時間席についているのだろう。
「先生」
・生徒に対し授業中は眠りの呪文を唱え、黒板には眠りの暗号を刻むわけの分からない人(H君)
・子守歌がエンドレスで入っているカセットテープ(カセットデッキ不要)(K君)
これは現代文の中で行なっている表現の授業の「個人的な定義」の単元で、高校三年生の生徒が「先生」という項目について書いた文である。個人的な定義は辞書のように短い字数で説明するのだが、一般の辞書とは違って書き手独自の批評精神や風刺を織り込んだ説明である。かれらが先生について日ごろどう考えているのか、生徒の鏡に映った自分を見る思いがする。
「不眠症治療の権威」(N君)とおだてられていい気になって、あちこちのクラスで言い触らしたりすると、「何年も同じネタで強制的な笑いを提供してくれるふざけたコメディアン」(H君)という具合にとうにこちらの正体を見透かされているから、青春とは他人を容赦なく傷つけるトゲを持った時期でもある。 |
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