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第2回 密室をつくる |
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4 好きなものを、自分のペースで
教室での音読を止め、すべて黙読に切り替えた。音読が困難になったのが直接の理由だが、この転換によって一人ひとりが自分のペースで読むことができるようになった。
これによってゆっくり読む、はやく読む、繰り返して読む、途中で止めるなど、読み方の自由度が広くなった。音読のときの一斉読みでは実現できなかったことだ。読む速度の調節をすることによって、ときにははやくときにはゆっくりをくりかえすことで読むペースを自力で作り上げていくのではないだろうか。自分に合ったペースを見つけだすことが大切だ。
どのような読み方が自分には適しているか、これは自分で試してみるほかにない。音読を聞くのは他人のペースに自分を当てはめることだ。多くの場合、音読は家でよく練習してきたり朗読の得意な人の出る幕なので、いつも聞き役に回る生徒たちには辛いことかもしれない。そういう生徒はほとんど聞くこともしない。だから、突然自分があてられて読むことになっても何がなんだか分からない。教師の書いたシナリオのト書にかれらの演技は書き込まれていない。
だが、一人で読まなければならなくなると、他人には頼れない。自分のペースを見つけて読みはじめるしかない。自分と活字が向き合うことになる。グーテンベルク(一四〇〇年ころ~一四六八年)による活版印刷術の完成が黙読の端緒をひらき、近代技術の発達がこの傾向を加速したといえるだろう。
音読が集団の時代の読み方だとすれば、黙読は個人の時代の読み方だ。読書の楽しみである好きなものを好きなペースで読むことを可能にするには、教室での一人ひとりの空間を密室にすることだ。『高校生のための小説案内』の口絵にも、グーテンベルクの活字印刷による「四二行聖書」の写真が載せられていて解説には次のように書かれている。「印刷された小説は読者に対して完全な〈密室〉を用意する。」(〈手帖1〉「物語から小説へ」二四ページ)
教室では完全な〈密室〉は作れない。しかし、活字と向い合うことによって、他のものを一切入りこませない密室状態を作ることができる。都会の電車の中で多くの人が新聞や雑誌を読み耽る光景とよく似ている。ただ違うのは教室につくり出された〈密室〉ではみんなが同じ作品を読んでいること、そしてときどきとなりの友達に「これなんて読むの?」などと質問する声が聞こえてくることである。 |
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