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「高ため」を黙読する授業

(この連載は、機関誌『国語通信』1996年春号~1999年春号に掲載された文章を転載したものです。)
第1回 わたしのアンソロジー
第2回 密室をつくる
第3回 逆習シール
第4回 テキストを編集する
第5回 モーツァルトへの手紙
第6回 教室に風を入れる
服部左右一(はっとり・さういち)
愛知県立小牧高等学校教諭
元愛知県立小牧工業高等学校教諭
『高校生のための文章読本』編者
筑摩書房教科書編集委員
長年「表現」分野の指導メソッド開発に携わる。

第4回 テキストを編集する
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5 もう一つのテキスト

 さて、Mさんが受け取った答案、「ことばによる表現」にはどのようなものがあったのだろう。後日、Mさんから借りて眺めてみた。

 内容はさまざまだった。提示の仕方にも工夫が見られた。エンピツで写したもの、新聞の切り抜きをそのまま貼ったもの、コピーを貼りつけたもの、パソコンで二色印刷したもの、数枚のコピーを綴じて冊子に仕上げたものなど、重ねて持つとごわごわしていて、答案用紙というよりもはり紙の工芸作品を持っているような感触と厚みがある。

 その中に『動物のお医者さん』があった。これは佐々木倫子のマンガで、作者は〈北海道生まれ。昭和五五年、花とゆめ夏の増刊号に「エプロン・コンプレックス」でデビュー。繊細で端正なペンタッチと、日常生活からどこかテンポのズレたストーリーセンスが不思議なおかしみを呼んで、じわじわとファン層を広げる。「動物のお医者さん」シリーズで、空前のシベリアン・ハスキーブームを起こす。他に「ペパミント・スパイ」シリーズ、「代名詞の迷宮」、「林檎でダイエット」など代表作多数。〉と紹介されていた。

 答案に提示されたものはマンガ作品そのものではなく、マンガ本の巻末に付いている解説文二編のコピーで、試験の問題用紙がテストの時間中に分解され、半分が表表紙、残りの半分が裏表紙に加工し直されているのだった。引用は解説文の竹熊健太郎(編集者・マンガ原作者)「H大学という名のユートピア」からなされていた。K君の引用と感想を紹介しよう。

④ つまり僕は、作品中のH大学が完璧な現代のファンタジー空間(ユートピア)として成立しているといいたいのである。頭の固い現代人が憧れるだけの魅力をあの場所は持っているのだし、「ひょっとして実在するのでは」と思わせるほどのリアリティも有している。
⑤ 最初に「動物のお医者さん」に目を通して、“あっこんな大学があれば楽しそうだ”と思った。とにかくやたらに内容が専門的なのだ。作者自身が大学へ通っていたのだろうかと思うほど現実味がある。
 今僕が大学への進学を希望しているのも、どこかにこの作品が影響しているようだ。いるはずもないのに作品中に登場する教授や学生像に実は自分もそうなったらとあこがれているような気もする。
 いるはずもないような教授の研究室に入ってみようかなと読んでいくうちに、作品に引き込まれてしまう。獣医学部を通して一つの社会的空間になって読み手を現実生活のように思わせてしまうのがすごい。(電気科K君)

 ⑤の文章もほとんど④の引用文の繰り返しに近いもので、やや背伸びした高校生の典型になっているが、この方式のおかげで定期考査の答案にK君は自分で選んできた文章について①~⑤の項目を書くことになった。読むことの楽しみの一つである「好きなもの」を読むことの条件が教室の中でもようやく満たされることになって、⑥の「逆習シール」を貼る必要性も少なくなったわけである。

 授業では、教師の指定する同じ文例に取り組むので生徒は「自分の好きなもの」を読むことができなかったが、試験においてそれができることになる。一人ひとりがどんなものを選んでくるか、「わたしのアンソロジー」として授業中に模擬的に行なった基本的な作業の応用が、ここで試されることになる。

 ここでこそ「わたしのアンソロジー」で身につけた一連の手続きが生きてくる。①から⑤まで(あるいは⑥まで)への取り組み方は、生徒の熱意によって深くも浅くもなる。日頃の愛読書についてじっくり取り組む者もいれば、試験当日の朝に読んだ新聞の記事を急遽持ってくるものもいる。準備を忘れて「高ため」の文例をそのまま写したものまで、さまざまな答案模様になっている。

 生徒は「高ため」よりも、教科書よりも、もっと違ったものに接しているから、提出される「表現」は新聞、雑誌、歌詞、商品のカタログ、宣伝パンフなどのあらゆる分野に広がってゆく。これは読書感想文とはちがいあらかじめ指定された図書について書く文章ではないから、教師側にはまったく予想できないものが出てくるだろう。つまり、教師の手ではなく、生徒自身によって新しいテキストが編まれる可能性も出てきたわけである。

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