第四回 和歌の表現の本質(一)
地名に接続する枕詞枕詞は、おそらくは長い伝承世界の時間の中で、ある言葉を讃美するため、徐々に形成されていった表現であった。始原的には、より長い讃詞があり、それが徐々に五音に固定されていったと思しい。その背後には、それを支える何らかの伝承(神話)が存在した。 その典型は、地名に接続する枕詞であろう。それでは、地名になぜ枕詞が必要とされるのか。それぞれの土地には地霊(国魂)が宿っており、その地に足を踏み入れる者は、地霊の鎮めをはかる必要があった。もともと、それぞれの土地には、その土地がそう名づけられるようになった来歴がある。それを正しく知ることが、地霊への鎮めにつながった。その来歴について語る伝承的な詞章(神話)を圧縮したものが、地名に接続する枕詞になった。 地名を生み出す主体は、まずはその土地にやって来た神であっただろう。時代が降ると、新たな土地の支配者がその役割を担うこともあった。 「常陸」に接続する「衣手」という枕詞がある。『万葉集』から例を挙げる。筑波山を題材にした高橋虫麻呂の長歌の冒頭部分である。 衣手 常陸国に 二並ぶ 筑波の山を…… 〈口語訳〉 「衣手」とは衣の袖をいう。この「衣手」については、『常陸国風土記』に「筑波岳に黒雲挂り、衣袖漬の国」という「風俗諺(その土地の言い伝え)」が見え、倭武天皇(東国には、ヤマトタケルが天皇となって巡行したとする伝承があった)が、泉で手を洗おうとした際、衣の袖が垂れて濡れたので「衣袖漬の国」の名が生まれたとする起源譚がそこに付載されている。この「風俗諺」は、地名の起こりを語る伝承的な詞章の一部と見てよいだろう。もっとも、「衣手―常陸」の結びつきが、右のような起源譚からすぐに生まれたかどうかはわからない。なぜなら、この「風俗諺」をよく見ると「筑波岳に黒雲挂り」とあり、雨によって袖が濡れたとも解せるからである。 いずれにしても、「衣手―常陸」の表現の背後に、何らかの伝承的な詞章(神話)があったことは確かである。その場合、ヤマトタケルの存在もどこかで意識されていただろう。 もう一つ、地名にかかわる枕詞を見ておこう。「出雲」を導く枕詞「八雲立つ」である。『古事記』の歌謡に、次のような例がある。 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を 〈口語訳〉 短歌体の歌謡である。物語の中では、スサノヲがその妻クシナダヒメを、垣を幾重にもめぐらせた婚舎(新婚夫婦のための寝屋)に籠もらせる際に詠じた歌とある。口語訳に「雲が幾重にも立ちのぼる出雲」としたが、盛んにわき起こる雲は、地霊の活発な活動の象徴でもある。そこで、「八雲立つ」は「出雲」への土地讃めの意味を示すことになる。その場合、「八雲立つ」は、「出雲(雲が出る、雲が立ちのぼる)」を喚び起こす像そのものでもあるから、「八雲立つ」=「出雲」という関係がここに成立しているともいえる。ここにも、その起源となりうる伝承的な詞章(神話)が存在していただろう。その詞章は、あるいはこのスサノヲの伝承ともどこかでつながるのかもしれない。 「八雲立つ」=「出雲」という関係は、先の「衣手―常陸」の場合にも同様に見られる。ここでも、「常陸」という地名(国名)は、その音を媒介にヒタチ=ヒタス(漬す)という像を喚び起こし、そこからさらに「衣手(袖)」との結びつきを生み出しているからである。それを保証するのが先の「風俗諺」のような詞章であり、ここでも「衣手」=「常陸」という関係が成立していると見ることができる。
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