第七回 非正統の万葉歌――巻十六から
和歌と漢語和歌(短歌)と俳句はどこが違うのだろうか。三十一文字と十七文字の別はさておき、そのもっとも大きな違いは、用いられる言葉にあるのではあるまいか。和歌は和語(大和言葉)で歌われることを原則とするが、俳句はもっと自由であり、漢語(字音語)や俗語の使用も許されている。いわゆる俳言である。たとえば、蕪村(一七一六~八四)に次のような句がある。 ゆく春や逡巡として遅ざくら 〈口語訳〉 「逡巡」は漢語であり、「ゆく春」と「遅ざくら」の双方に懸かる。「逡巡」を中心に据えることで、句全体が引き締められている。 ところが、『万葉集』の場合、俗語はともかく、漢語(字音語)はまったく現れない。それどころか漢語を拒否する意識が明白に見られる。 後代に浦島太郎の物語として展開されることになるその原型は、丹波国(現在の京都府北部と兵庫県東部。なお、和銅六(七一三)年、丹波国から分かれて丹後国〈現在の京都府北部〉が作られた)の国司であった伊預部連馬養(?~七〇二?)が在地の伝承に中国神仙譚的な要素を加味して創作した「浦島子伝」にあるとされる。その内容が『丹後国風土記』(佚文)に記録されているが、そこには浦島子が赴いた先が「仙都」「蓬(莱)山」「神仙界」などと記されている。この伝承は『日本書紀』「雄略紀」にも記されるが、そこにも浦島子が「蓬莱山」に到ったと記されている。『丹後国風土記』には、浦島子が亀比売(浦島太郎の物語の乙姫)と詠み交わした歌が記されるが、興味深いことに、そこでは浦島子が訪れた世界が「常世」に改められている。 『万葉集』にも、高橋虫麻呂(生没年未詳)の歌った浦島子の伝説歌が見えるが、そこでも浦島子の訪れた世界は「常世」とされている。長歌は長いので、反歌のみを示しておく。 常世辺に住むべきものを剣太刀己が心からおそやこの君 〈口語訳〉 常世にいれば永遠の寿命を得ることができたはずの浦島子が、あえてこの世界に戻って来たことを「おそや(愚かなことよ)」と批判的に捉えている。 「常世」とは、古代の日本人が海の彼方に想像した不老不死の永遠の世界をいう。散文部分(漢文体の文章)では、「蓬莱」「神仙界」と書きながら、和歌ではそれを「常世」に置き換えたことになる。このことは、「蓬莱」のような漢語は、和歌には用いることができなかったことを示している。
|
|||||||