万葉樵話――万葉こぼれ話

第五回 和歌の表現の本質(二)

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枕詞の像の多様さ

 前回は、地名を導く枕詞について述べたが、そこで指摘したことは、枕詞一般にも及ぼしうる。

 枕詞は古層のものであればあるほど、その起源がわかりにくくなり、そこに多様な解釈が付加される。とはいえ、その解釈もまたそれぞれに、枕詞と被枕詞との関係を支える何らかの伝承を背後にもっていたと見てよいように思う。

 「山」を導く枕詞に「あしひきの」がある。「あしひきの―山」という結びつきだが、この「あしひきの」も、『万葉集』の段階では、すでに本来の意義がつかめなくなっていたらしい。興味深いのは、その結びつきが、多様な像を生み出していることである。文字表記を見ることで、それがわかる。

 次のような文字表記の例がある。歌は一部だけを掲げる。

あしひき山にしれば(巻四・七二一)
あしひき山かも高き(巻十・二三一三)

 ここから浮かび上がるのは、山裾を長く引いた山の像であろう。そのような理解があっても不思議ではない。ところが、次のような文字表記の例もある。

あしひき山き隔りて(巻四・六七〇)
あしひき山椿咲く(巻七・一二六二)

 この文字表記からは、山の悪路で足を痛めたらしい意がつよく感じ取れる。ひょっとすると、山にやって来た神が足を痛めたとするような伝承が背後にあったのかもしれない。ぶきやまの神に誤ったことげ(あることがらを特殊な方法で言い立て、言葉の呪力を働かせる呪術。多くは神に向けられた断定的な誓言)を行ったため、そのたたりを受け、蹌踉よろめく足を引きずりつつ、故郷に向かって何とか歩を進めようとするヤマトタケルの姿が、『古事記』に次のように描かれているからである。

「しかるに、今はが足歩まず(いまや私の足は歩むこともできない)、たぎたぎしく成りぬ(足が腫れてひん曲がってしまった)。」とのりたまひき。かれ其地そこなづけて当芸たぎふ。
(『古事記』「景行天皇」)

 「当芸たぎ」(岐阜県養老郡)の地名起源たんである。足が「しく(ひん曲がって、歩行が困難に)」なったので、そこを「当芸」と名づけたとある。ヤマトタケルは神ではないが、それに準じてよい存在だから、なるほど山で神が足を痛めたとする伝承があってもおかしくない。先に、山裾を引く意ではないかとした「足引乃」「足曳之」も、もしかすると、神が足を引きずる意に解されていたのかもしれない。

 前回取り上げた、地名を導く枕詞「八雲立つ―出雲いづも」にも、同様なことが指摘できる。次のような例が、やはり『古事記』の歌謡に見られるからである。ヤマトタケルが、中身のない刀とすり替えて、出雲いづもたけるだまし討ちにした際に歌ったものとある。

やつめさす 出雲建が けるたち 黒葛つづらさは巻き さなしにあはれ
(古事記二三)
〈口語訳〉
やつめさす出雲建が身に帯びている太刀、つるくさをたくさんに巻いてはいるが、中身がなくて気の毒なことよ。

 この「やつめさす」も「出雲」に接続する枕詞だが、どうやら地名イヅモを「」と解し、それを「さす(藻がいよいよ生長・繁茂する)」の意に捉えたらしい。サスは、ある力が直線的に発現することを示す言葉で、藻の生長・繁茂をいう。その証拠に、出雲いずものおおかみが小児にひようした際の託宣の詞章に「たましず 出雲いづもひとの祭る たね甘美うましかがみ(玉藻の中に沈む宝の石、そのように出雲人が大切に祭る、美質のそなわる素晴らしい鏡)」という文言が見えるからである(『日本書紀』「崇神紀」六十年七月条)。この「玉菨」は「玉藻」に違いないから、「出雲=イヅモ」が「出づ藻」の意で捉えられていたことの傍証になる。

 そこで、地名イヅモは、その音を通じて「出づる雲」とも「出づ藻」とも捉えられていたことが明らかになる。その違いに応じて「八雲立つ」あるいは「やつめさす」との連接が生み出されたのだろう。藻の生長・繁茂も祝福性をもつから、湧き出る雲と同様、どちらも土地めの意味を含む。

 ここで重要なのは、地名に含み込まれる、または地名によって呼び起こされる像が、枕詞との接続の中から浮かび上がることだろう。そう考えるなら、その背後にある伝承的な詞章(神話)も、いま見られるものは二次的、ないし三次的、もっといえば始原の段階からすでに多様にありえたのかもしれない。

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