第九回 『万葉集』の和歌にはなぜ敬語があるのか(二)
紀女郎と大伴家持『万葉集』では、男女の贈答歌にも敬語が使用される例が少なくない。そのことは前回にも述べた。その敬語を、きわめて効果的に用いた例があるので、それを最後に紹介しておく。紀女郎と大伴家持の贈答歌である。 紀女郎の大伴宿禰家持に贈れる歌二首
右は、合歓の花と茅花とを折り攀ぢて贈れるなり。 〈口語訳〉
右は、合歓の花と茅花とを折り取って贈ったものである。 大伴家持の贈り和へたる歌二首
〈口語訳〉
紀女郎は、紀鹿人の娘で、本名を小鹿という。本名がわかるのは当時としてはめずらしいが、いかにもこの人にふさわしい。紀氏も古代からの名族である。若い頃に安貴王の妻となったが、どこかで離縁になったらしい。家持よりはやや年長なのだろう。当時、家持は青春時代のまっただ中にあり、さまざまな女たちとつきあいをもったが、紀女郎もその一人になる。青年貴公子とかつて人妻であった年上の女との恋だから、それだけでも危ない感じがするが、この二人の関係は、どうやら遊び心を多分に含んだものであったらしい。そのありようが、この贈答歌からも見て取れる。 ここで注意すべきは、相互の呼称である。紀女郎は家持を「戯奴」と呼び、家持は紀女郎を「君」と呼んでいる。「戯奴」の「戯」は、文字どおり「戯れ」の意があるから、本体は「奴」にある。これをワケと訓むのは音注(ここでは省略)があるからで、ワケとは、もともと若い衆を意味する。そこに漢字の意味を重ねれば「従僕・奴僕」の意になる。反対に「君」は「御主人様」の意になるから、二人は主人と従僕の主従関係を擬制していたことになる。 左注によれば、紀女郎の歌は、「合歓の花」と「茅花」とともに贈られたとある。その一首目は、あきらかに「君=主人」の立場から歌われている。これに対応するのが、家持の一首目だが、ここでは自らを「戯奴=従僕」の立場で応じており、紀女郎を「我が君(わがご主人)」と呼んでいる。紀女郎の一首目では、家持に対して、「食して肥えませ(召し上がってお太りなさいませ)」と敬語を用いているから、主人と従僕の関係を擬制しているにしては、やや不徹底な感も残る。「茅花」は、チガヤの花穂だが、これを食べると太るのかどうかはわからない。ただ、家持はもともと痩身らしく、「頂戴したチガヤを食べてもますます痩せてしまうのは、あなたさまへの恋ゆえでしょうか」と応じている。ここには「賜りたる」と敬語が用いられている。 紀女郎の二首目は、「合歓の花」を歌うが、ここには敬語が用いられず、主人と従僕の関係がそのまま現れている。一方、家持の二首目は、そうした関係を恋人同士のそれに引き戻している。まず、紀女郎を「吾妹子」と呼び変えている。「吾妹子」は、恋人への呼称である。それは「合歓の花」が共寝を誘う意味をもつからである。「実にならじかも(おそらくは実にならないのだろうかなあ)」は、恋の成就への危惧の表明と見てよいが、もとより真剣なものではなく、「合歓の花」を贈った相手に対する挑発ないし切り返しと見てよい。ここにも、当然ながら、敬語は使用されない。 紀女郎と家持は、別のところでも「君」―「(戯)奴」の言葉を用いた歌を残しているから、この二人は常々こうした関係の擬制を楽しんでいたのだろう。情痴の極みとも取れるが、これこそが、本連載の三回目でも述べたような、宮廷文化のありよう、爛熟した天平期の貴族文化の高みを示すものであるに違いない。 さらにここには、敬語の使用、不使用の問題も絡んで来るから、それもまた『万葉集』の独自のおもしろさを見せてくれている。「君」から「吾妹子」への転換など、敬語を用いない平安時代以降の歌では、なかなかお目に掛かれない巧みさが現れているように思われる。
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