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日本文学の声 作者の語り—物語(日本の小説)の読み方・教え方

I 三浦哲郎『とんかつ』(1987)

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②主人公(=作中で変身する人物)の特定が、主題の発見につながる

 物語には例外なく主人公がいる。まず生徒に通読(予習)させ、授業ではなるべく早く、主人公を特定させるように方向づけたい。主人公の定義は、

●主人公=作中で「変身」する人

だ。そういう人物がいない物語は、物語と言えないということを、大原則とする。主人公の「人が変わる」場面がないのは、読むに値しないものだ。そして、それが特定できれば、そこから主題が引き出せるのだ。

 『とんかつ』の場合、福井市内の旅館に泊まる母子と女将の「温かい心の触れ合い」を描いているとするのでは、登場人物三人がただの仲良し倶楽部だというだけのことだ。そのうちだれが主人公かを特定してかからなければ、物語のエッセンス(作者が意図した作品の意味=主題)は、ただ「よかったね」で終わってしまう。

 主人公の特定には、一読したあと、一人ずつ主人公としての資格を欠く人物を消去してゆけばいい。『とんかつ』では、作中で変身しない母と息子には、その資格がない。となれば、女将しか残らない。『山月記』や『羅生門』では、一人の人物しか主人公としての可能性がないから、その人物の行動を追い、変身する場面(「クライマックス」と呼ぼう)を見つける作業が、生徒たちにとっても面白いはずだ。

 「変身」と言っても、カフカの『変身』のように、いつも主人公が姿かたちを変えるわけではない。むしろ、「変身」はふつう、主人公の内面で起こる。では、『とんかつ』の女将は、どこでその「人が変わ」るのか。

 自殺の名所として知られる東尋坊に近い福井市で、母子心中すら予測される状況が一変するのは、展開部(作者が三つに区切った二つ目の部分)で、少年が入門にそなえて頭を丸めて宿に帰ったところだ。女将は夕食に、息子の好物だというとんかつを、〈これまででいちばん厚〉く、〈じっくり揚げて出〉す。それを母親の分まで平らげた少年を、一年後の女将は忘れていなかった。

 寺の雪下ろしで右脚を骨折し、市内の病院に入院している息子を見舞いに、母親が同じ旅館にやってきたのだ。息子の手紙には、病院にきてはいけない、とあったことを聞いて、女将は〈じゃ、お夕食はごいっしょですね。でも、去年とは違いますから、なにをお出しすればいいのかしら〉と母親に尋ねる。女将は〈去年とは違〉う息子の立場が一瞬頭をよぎるのだが、そのあとの判断はすばやかった。

 躊躇する母親(〈修行中の身ですからになあ。したが、やっぱし……〉)に、〈わかりました。お任せください〉と女将は言って、わざわざ母親には病院ではなく宿屋で待つように指示した息子の意向も汲んで、(精進揚げなどではなく)〈とんかつの用意を言いつけた〉。そこがクライマックス。

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