中里介山
( なかざと・かいざん )(1885~1944)東京府下西多摩村(現、羽村市)生まれ。15歳で上京、電話局交換手・小学校教員を経て木下尚江らの社会主義運動に加わる。明治37年(1904)都新聞社に入り、同39年に処女作『氷の花』を発表、続いて『浄瑠璃坂の仇討』他を都新聞に連載し文名をあげた。大正2年(1913)29歳で『大菩薩峠』連載を開始。都新聞連載中絶後は、毎日新聞、国民新聞、読売新聞などに昭和16年(1941)まで書き継がれ、この間29年に及ぶがついに未完に終わった。
loading...
竜之助との間をわけありげに噂され、お雪は不安をつのらせていた。宿を訪れる人がみな、竜之助を探索すると見えてくる。ついに白骨を去り、白川郷へ向かおうと決めた。そのころ兵馬は、飛騨高山に歩を進めていた。一方、お銀様は再び故郷を離れ、お角に同道して鳴海、熱田へ。道庵と米友また、木曽から尾張へ入り、名古屋城天守に登って御満悦。その城中奥深く、一夜がんりきの百蔵が忍び入った…「年魚市の巻」「畜生谷の巻」を収録。
本書をお読みになったご意見・ご感想などをお寄せください。
投稿されたお客様の声は、弊社HP、また新聞・雑誌広告などに掲載させていただくことがございます。