内田百閒
( うちだ・ひゃっけん )1889-1971。岡山市の生まれ。本名は栄造。ペンネームは郷里の百閒川にちなむ。旧制六高在学中は俳句に親しむ。東大ドイツ文学科卒。陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学等でドイツ語を教える。教師をやめたのち作家活動に入り、特異な幻想をつづった短編集「冥途」「旅順入城式」を発表。飄逸な「百鬼園随筆」によってひろく世に出た。借金術の大家で、鉄道好きとしても知られていた。
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「八月十五日水曜日。今朝の放送は天皇陛下が詔書を放送せられると予告した。誠に破天荒の事なり。正午少し前、上衣を羽織り家内と初めて母屋の二階に上がりてラジオの前に坐る。天皇陛下の御声は録音であったが戦争終結の詔書なり。熱涙滂沱として止まず。」昭和十九年十一月一日から昭和二十年八月二十一日まで、アメリカ軍の激しい空襲により、東京が火の海となり、灰燼に帰するまでの惨状を克明に記録しつづけた戦時日記。
一機の空襲警報
空襲の皮切り
神田日本橋の空襲
東海の激震
深夜の警報頻り也
用水桶の厚氷 空襲警報の手加減
大晦日の夜空に響く待避信号の半鐘
鹿が食う様な物でお正月
残月と焼夷弾
サーチライトの光芒三十幾条〔ほか〕
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