第四章 評論2 「異文化としての子ども」 本田和子
②子どもの表現――身体の表現力本文には、もう一つのヒミツがあります。砂場の場面に続く例です。 「ままごと」のゴザの上を消防署に見たてて、たむろしていた子どもたちが出動した。「火事だぞ―。」と。一歩おくれて、後から駆け出した一人が、歌うように口にする言葉は、「早く早く、急いでいいもの買ってこよう。」この小さな消防署員は、消火活動に出勤するのだろうか。それとも、おやつでも買いにいくのだろうか。 これもまた、筆者は答えに言及していません。当然、観察者も理解不能です。やはり、生徒の中の「子ども」に呼びかけ、擬態語で表現させてみました。ヒントは「出動」「買い物」、そして「早く」です。まるで連想ゲームのようですが、「早く」は、筆者からのヒントです。「速く」ではなく「早く」ですので、他の人に先着して買い物するために早い必要があること。競争になるくらいの買い物ですから、バーゲンや行列が出来るような商品の売り出しかもしれません。一斉の「出動」が、バーゲンや行列を連想させたのでしょう。生徒が出してきた擬態語は「きびきび」「ばたばた」という速度に注目したもの、「がやがや」「わいわい」「ぎゅうぎゅう」というひしめき感に注目したもの、「まごまご」「とことこ」という取り残され感に注目したものなどです。 どれか一つを正解とは言い切れませんが、仲間が一斉に動き出した時、また、一人取り残された時、それを追いかける時に身体が感じたことに基づいて、子どもは「買い物」を想像しているのです。欲しいものをわいわいと買うときの楽しい感覚を歌うように言葉にして、子どもは生き生きとその世界に遊んでいるのです。これが子ども特有の身体の想像力なのです。ここに子どもの表現の個性と、その輝きがあります。大人が忘れていた身体に根ざした感覚と表現です。
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