万葉樵話――万葉こぼれ話

第五回 和歌の表現の本質(二)

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序詞のありかた

 序詞のありかたも、その本質は枕詞と変わらない。ただし、序詞は長いだけに、序詞に導き出される表現との関係はより複雑になる。序詞によって描き出される像は、枕詞よりもさらに具体的かつ明瞭なものとして現れる。その原型もまた、枕詞と同様、より長い伝承的な詞章であった可能性が高い。前回、枕詞の説明の際に引用した『常陸ひたちのくに』の「つくに黒雲かかり、衣袖ころもでひたちの国」という「風俗くにぶりのことわざ(その土地の言い伝え)」の「筑波岳に黒雲挂り、衣袖」までは、見方を変えると、「漬の国(常陸国)」をび起こす序詞の原型と見ることもできる。

 しかし、序詞は次第に歌い手の心情を比喩的にかたどる像としての意味をつよめていく。とりわけ短歌においては、そのありかたがより顕著になっていく。前のところで鏡王女の歌を取り上げたが、その鏡王女はかつててんち(じ)天皇(なかの大兄おおえの)の恋人であったらしい。鏡王女が天智のもとを退去した際、天智は歌を贈るが、それに応えた鏡王女の次の歌は、序詞を用いた歌(序歌ともいう)の典型を示す。

秋山のしたがくく水の我こそさめ思ほすよりは
(巻二・九二)
〈口語訳〉
秋山の木のしたがくれに流れる水のように、表面には見えずとも、私の思いは深くまさっている。あなたが思ってくださるよりは。

 「高い山の頂に私の家があれば、離れて行ったあなたの家をずっと見続けていられるのに」という天智の歌を受け、「山の上にいくらあなたの家があっても、木の下隠れに流れる水のように深くまさる私の思いなどとてもわからないでしょう」と、巧みに切り返している。これも反撥・揶揄を基本とする女歌の詠み口である。「秋山の……行く水の」までが比喩的な序詞で、「我こそ益さめ」を導いてはいるが、それだけではなく、そこに浮かび上がる像――表面は目立たずにひっそりと流れる木の間のせせらぎの像は、作者の内面の卓抜な比喩になっている。初期万葉(『万葉集』第一期)の歌ではあるが、すでに序詞が歌い手の心情の確かな比喩になっていることが認められる。

 もっとも、序詞を用いた次のような興味深い例もある。作者不明歌である。

我妹子わぎもこあかひづちてゑし田を刈りてをさめむくらなしの浜
(巻九・一七一〇)
〈口語訳〉
いとしい子が赤裳を濡らして植えた田を刈り取って収める倉、その倉無の浜よ。

 この歌では、「我妹子が……収めむ」の四句が、結句「倉無の浜」を導く長大な序詞になっている。序詞によって導かれるのは、「倉無の浜」たった一句でしかない。この長大な序詞を見ると、まずは田植えのハレの場の光景を示し、秋になって刈り取った稲を「倉」に収めるまでを、一貫した像として描き出すところにねらいがあることがわかる。その「倉」を媒介に、地名「倉無の浜」が導き出される。その結果、「倉無の浜」への土地讃めが果たされることになる。ならば、この歌の構造は、先に示した『常陸国風土記』の「筑波岳に黒雲挂り、衣袖漬の国」という「風俗諺」のありかたにも重なる。この歌の場合、事実としては、「倉無の浜」という地名への興味から、序詞の像が喚び起こされたのだろうが、反対から見れば、その像は新たに作り出された地名起源の伝承(神話)であるともいえる。ここにも序詞の本質が現れている。なお、「倉無の浜」は所在未詳で、一説に大分県中津市つのくらなしはまのことかという。

 以上、枕詞と序詞とを取り上げただけだが、これらの表現を持つことで、和歌は日常の言葉から区別され、歌い掛ける対象に働きかける不思議な力がそこに宿ることになる。枕詞や序詞は単なる修辞技法でなく、和歌が和歌であることの本質にかかわる大切な表現要素であることを、ここでも確認しておきたい。

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