第四章 評論1 「技術の正体」 木田 元
③ 補助線を引く(2)――なぜ、臓器移植?この評論では、「もうお蔵入りした」はずの「心身二元論」を持ち出してまでも臓器移植を実施したい医療現場の声を取り上げ、痛烈に批判しています。「肉体の死によって精神が解放される」とした「心身二元論(霊肉二元論)」を、「脳死(精神の死)によって身体が解放されれば、その身体は共同のものとなり、移植可能になる」とする医療現場のご都合主義は、「身体が精神を規定する」という「身体論」的な視点が決定的に欠けている、と筆者は指摘しているのです。 しかし、それでもなぜ、そこまでして臓器移植をしたいのでしょうか? それがまさしく「技術」の問題点であり、そこに「技術の正体」があるのです。医療関係者は移植をしてみたいのです。移植の向こうに広がる未知の世界を見てみたいのです。技術が様々な手術を可能にした結果、それを実行したいのです。確かに、その手術によって助かる生命があるということが一義的なのでしょうが、そこには、心臓移植をしたいという知的情熱・好奇心があることは否定できないようにも思えます。 技術が一人歩きし出す時には、いつもこのような問題が生起します。原子力や遺伝子研究についてもこのような危険性があるように思えます。新技術は人間にとっての必要から生み出されるのか、それとも技術が一人歩きし、暴走することから生まれるのかということです。これこそが「技術の正体」であり、危険性でもあります。技術が理性ではなく、このような危険性を秘めた情熱・感情に基づくということを実感として伝えるために、この『死の再定義』という評論は、補助線として有効だと思います。
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