浪速のスーパーティーチャー守本の授業実践例

第四章 評論

1 「技術の正体」 木田 元

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④ まとめとして

 これまで「技術の正体」を、「世界や自然を明らかにし、つながりたい」という欲求であり、好奇心・情熱として考えてきました。また、これらに関係して、佐伯啓思氏はこう述べています。

人はいつも神秘的なものや、未知なものにひかれる。だからこそ科学ができ、芸術ができ、技術を生みだしたのである。神秘的なものや未知なるものは、人間とその「何か」の間に埋めることのできない「距離」を作りだす。だから人はそれを手に入れようと欲するのだ。(『「欲望」と資本主義』佐伯啓思 講談社現代新書 P.94)

 ここでは、「技術の正体」を、たえず新奇なもの、非日常的なものに向かうフロンティアとしての欲望に求めています。そして、この欲望こそが、情報社会・メディア社会・消費社会などの現代社会を読み解くキーワードにもなっているのです。評論文は「近代」と「ポストモダン」が中心ですが、それらは深いところで共通した問題意識を持っています。したがって、次はこの「技術の正体」が次の教材の補助線としてなり得るように読み解く必要があるのです。

 これまで見てきましたように、「技術の正体」とは、人間の本質に関わるものであり、それ故にそう簡単には割り切れない問題が潜んでいます。仕方のないことですが、高校教科書の評論文の多くは、評論的な随筆であったり、随筆的な評論文です。評論的な随筆では論理性が乏しく、随筆的な評論文では論理を支える実感に乏しい傾向があり、どちらも生徒が読み解くことに苦労を要しますが、ある意味、工夫し甲斐があるともいえます。

 私はこの評論の授業の最後を、先にあげましたソフォクレスの詩で結びました。人間の技術に対する驚嘆と驕りへの恐れを表したものですが、2400年前のギリシア詩人と私たちが、この評論文の授業を通してつながっていることが実感できます。この2400年間、人間はどう進歩してきたのかということを思うと複雑な気がしてきます。

 それでは、前掲した詩の後半を挙げ、この授業の終わりとします。

気も軽やかな鳥の族(やから)、または野に棲む
獣(けだもの)の族、あるは大海(わたつみ)の潮(うしお)に住まう
類をも、繰り上げた網環にかこみ、
捉えるのも、心慧(さか)しい人間、
また、術策(てだて)をもってし、曠野に棲まい、あるは山路を
い往き徘徊(もとお)る 野獣を挫(ひし)ぎ、鬣(たてがみ)を生う
馬さえも、項(えり)に軛(くびき)をつけて馴らすも、
疲れを知らぬ山棲みの牡牛をもまた。
あるいは言語(ことば) あるはまた風より早い考えごと、
国を治める分別をも 自ら覚る、または野天に眠り、
大空の厳しい霜や、烈しい雨の矢の攻撃の
避けおおせようも心得てから、万事を巧みにこなし、
何事がさし迫ろうと、必ず術策(てだて)をもって迎える。
ただひとつ、求め得ないのは、死を遁れる道、
難病を癒す手段は工夫し出したが。
その方策の巧みさは、まったく思いも
寄らないほど、時には悪へ、時には善へと人を導く。
国の掟をあがめ尊び、神々に誓った正義を遵(まも)ってゆくのは、
栄える国民。また、向こう見ずにも、よからぬ企みに
与するときは、国を滅ぼす。かようなことを働く者が、
けして私の仲間にないよう、その考えにも牽かされないよう。
(〈コロスの歌〉ソフォクレス/呉茂一訳
 「アンティゴネ」『ギリシア悲劇II』ちくま文庫)
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