ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 「高ため」を黙読する授業第五回(4/6)

「高ため」を黙読する授業

(この連載は、機関誌『国語通信』1996年春号~1999年春号に掲載された文章を転載したものです。)
第1回 わたしのアンソロジー
第2回 密室をつくる
第3回 逆習シール
第4回 テキストを編集する
第5回 モーツァルトへの手紙
第6回 教室に風を入れる
服部左右一(はっとり・さういち)
愛知県立小牧高等学校教諭
元愛知県立小牧工業高等学校教諭
『高校生のための文章読本』編者
筑摩書房教科書編集委員
長年「表現」分野の指導メソッド開発に携わる。

第5回 モーツァルトへの手紙
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4 本をグルグル、目がグルグル

 それならモーツァルトと同じではないか、『文章読本』の「姉への手紙」のモーツァルトのお茶目な遊びと根っこは同じではないかと、思い当った。ということで、モーツアルトの「姉への手紙」を読むことにした。

 でも、これはけっこう決断の要る選択だった。こんなふざけた遊びの手紙を授業で扱うことに対する抵抗が自分自身の中にあったことは確かだった。これは十六才のモーツァルトが演奏旅行の合間にミラノから姉のナンネルに書いたもので、身内の者に対する気の置けないくだけた調子で綴られている。ほぼ正方形の紙の外側から内側に向かって渦巻き型に文章が進み、中心には文字の部分よりも広い空白が残っていて、そこにメッセージを運ぶ鳥と炎を吹きながら燃えるハートと思える絵が描かれている。図形と文章が合体した、魔訶不思議なゆえに、魅力的な手紙である。

 読み始めると、生徒たちは本をグルグル回し始めた。目がマワルと悲鳴を上げる者もいる。「この書き方が気に入った」と周りに言い触らしている者もいる。やっぱり面白いのだ。普段の学校の授業では敬遠されがちな文例、この文例とも言えないような茶目っ気たっぷりの遊びに生徒たちは親近感を見いだしたようだ。

 意味がわからないけど、この絵が好き。いろんなことを想像させる。これは鳥かなぁ……とか心臓かなぁとか風かなぁとか血液かなぁとか。なんでこの絵なんだろう。何が言いたいんだろう。それと、この文章の書き方が好き。今度真似して書こうと思った。(I)

 四月に転勤してから気が付いたことだが、女子生徒の中にしょっちゅう手紙を書いている子がいる。コアラちゃんやキティちゃんマークの付いた便箋に猛烈なスピードで手紙を書いている。休み時間と授業時間との境も忘れるほどの熱中ぶりも珍しくない。同じクラスの者どうしの交換もあるようだから、わざわざ近くの友達に手紙を書くこともないだろうにと大人は思いがちだが、彼女たちには彼女たちの思い入れがあるのだろう。

 そういえば、ぼく自身も高校時代にノートを交換して自分でもよく分からない理屈を友達とたたかわせたことがあった。自分では制御できない何かに駆られていたような一時期だった。だれかに訴えたい、受けとめてほしいという根源的な叫びの現われだったように記憶する。そんなことを考えると、モーツァルトも彼女たちも、そして何年か前のぼくも、ともに何か得体の知れない衝動に突き動かされた青年期の熱中の渦巻きのなかにいたのだろう。

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