万葉樵話――万葉こぼれ話

第七回 非正統の万葉歌――巻十六から

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巻十六と漢語

 ここまで述べて来たことは、和歌は和語で歌われることを原則とし、漢語(字音語)は排除されているということだった。『万葉集』の歌にもその徹底が見られるのだが、一部例外がある。それが巻十六である。巻十六は仏教語を中心に、漢語を意識的に用いた歌が何首か見られる。ここでは一首だけ挙げる。「たかみやのおほきみくさぐさの物を詠める歌二首」とある中の一首である。

もんの作れるからすまなぶたれてはたほこ
(巻十六・三八五六)
〈口語訳〉
婆羅門僧正が作っている小田の稲を食べる烏は、まぶたがふくれてはたほこにとまっている。

 「婆羅門」は、インド四姓の最高位で、それを漢語(字音語)で記した。ここは、インド出身の僧で、天平八(七三六)年、だいぶつかいげんの際に導師を勤め、もんそうじようと呼ばれただいせん(七〇四~六〇)を指すらしい。婆羅門僧正が作る田の米を食べる烏の瞼がれているのを仏罰と見たのだろう。「幡幢」は小旗を上部につけたはた竿ざおで、寺のしるしとして立てた。「婆羅門」は漢語(字音語)だから、相当に異例である。この他にも巻十六には、「」「だにをち」など、漢語(字音語)を用いた例が見られる。

 この歌で注意されるのは、題詞に「数種の物を詠める歌」とあることで、これはいわゆるもののなのうたと見てよい。あらかじめ与えられた複数の事物の名を一首の中に詠み込んで作るのが物名歌で、この歌でいえば、「婆羅門、小田、烏、瞼、幡幢」がその事物にあたる。正統的な歌からははずれるが、こうした歌が、当時、宴席の場の座興として好まれたらしい。それゆえ、歌意を素直に受け取る必要はない。瞼の腫れた烏が実際にいたかどうかは不審とするに及ばない。巻十六には、こうした物名歌も多く見られる。なお、作者の高宮王がどのような人物かは不明。

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