第十回 古典を学ぶ意味
神の本質は祟るところにある最初にも述べたように、古代の人びとは、自分たちの住む世界を囲む自然を神の意志の現れとして捉えていた。ここで注意すべきは、そうした自然は、一方でとてつもなく恐ろしいものとしてあったことである。自然は、人びとに恵みを与えてくれるものの、時として大きな災いをもたらした。そうした災いも、古代の人びとは、やはり神の意志の現れ、神の霊威の現れと見た。 私たちは、神というと、願いを叶えてくれるやさしい存在と考えがちである。だが、神の本質は、災いをもたらすところ、つまり祟るところにある。日照りや大雨が何日も続いたり、夏に寒さが続いたら、農作物はたちまち不作になり、その結果、飢饉が起こる。そうした時に疫病が流行すれば、さらに甚大な被害をもたらす。古代の人びとは、こうした災いを、すべて神の祟りの結果であると考えた。そこで、そうした祟りが起こらぬよう、人びとが無事に生活が送れるよう、ひたすら神に祈った。そこに祭りが営まれる根本的な理由がある。何もせずに平穏無事な生活が送れるなら、神を祭る必要などない。祟るからこそ祭るのである。これが基本である。
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