万葉樵話――万葉こぼれ話

第十回 古典を学ぶ意味

前のページへ1/2/3/4/5/6次のページへ

野や山は神の領域

 人びとが住む空間である村里、その村里を囲む野や山は神の世界、神の領域と考えられた。そうしたところに、勝手に人が入り込むことは許されなかった。そこに人が入り込むことは、ケガレをもたらし、それが祟りを引き起こすと考えられたからである。

 とはいえ、人は生活のため、時には野や山に入らなければならない。そうした際には、そこに入る前に神に祈り、その許しを得る必要があった。たとえば、家を建てるため、材木を山から切り出す際には、山の神を祭って、その許しを得た。山に入っても、決して余計なものはらなかった。必要なものを、必要な範囲で、文字通り頂戴したのである。

 そのことがよくわかる歌が『万葉集』にある。えつちゆうこくしゆであったおおとものやかもちが、業務視察のため、国内諸郡を巡行した際に、半島の能登島を見てんだ歌である。能登半島は造船が盛んで、能登島からも船材となる良材がり出された。当時の越中は、現在の富山県だけでなく能登半島も含んでいた。

 ぶさ立てふなるといふ能登の島山 今日見ればだち繁しもいくかむびそ
(巻十七・四〇二六)
〈口語訳〉
 鳥総を立てて船材の木を伐るという能登の島山よ。今日見ると木立が茂っていることよ。幾代を経てこうごうしくなったのか。

 どうである。「鳥総」は、葉のついたこずえの部分で、木をばつさいした後、それを切り株の上に立てて、山の神に供えた。梢は、船材としては不要な部分だが、切り株の上に立てるのは、山の神に返す意味があるからである。すべてを持ち去るのではなく、必要外のものは、もとの世界に戻す。それが基本とされていたことが、この歌からもわかる。

 祝詞のりとおほ殿とのほかひ(宮殿の平安を祈る祝詞)」にも、山から料材を伐り出して宮殿を造営するさまが、

 今、奥山のおほかひかひに立てる木を、いみいみをのをもちて伐り採りて、もとすゑもとと先端の部分)をば山の神に祭りて、中間なから(木の中間部分)を持ちて、いみすきをもちていみばしらを立てて……

のように描かれており、ここでもやはり不要な部分(「元末」)を、山の神に返したことが見えている。ただし、ここで大事なのは、「不要」という捉え方は決してしていないことである。事実としてはそうに違いないが、使わないところは、神の世界にお返しする。そうした意識がここに現れている。そこに大きな意味がある。

 新しく土地を開墾するような場合も同様であった。そのためにはまず、対象となる土地の神の許しを得なければならなかった。

 ここで興味深いのは、みやざわけん(一九八六~一九三三年)の童話に、そうした古い時代の人びとの自然に対する心意をうかがわせるような例が見られることである。『狼森おいのもりざるもりぬすともり』(童話集『注文の多い料理店』所収)と題する話である。

 新たに開墾すべき土地を求めて、四人の男がそれぞれの家族とともに、狼森、笊森、くろさかもり、盗森という四つの森に囲まれた土地を見つけ、そこに村を起こすことに決める。その時、男たちは周囲の森に向かって、「ここへ畑起こしてもいいかあ」「ここに家建ててもいいかあ」「ここで火たいてもいいかあ」「すこし木もらってもいいかあ」と許しを請い、それに対して森は一斉に「いいぞお」とか「ようし」と答える。

 これは、近代の作品ではあるが、古代の人びとの自然に対する考え方、意識をよく示す話であるように思われる。宮澤賢治は、科学者でもあるが、その作品には、古代的な感性が随所に表れている。

前のページへ1/2/3/4/5/6次のページへ
ちくまの教科書トップページへ テスト問題作成システム テスト問題作成システム:デモ版 筑摩書房ホームページへ 筑摩書房のWebマガジンへ お問い合わせ