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第1回 “恐るべき画一化”―定番教材はなぜ消えない |
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1.特集「漱石・鴎外の消えた『国語』教科書」
定番教材は消えない
文芸雑誌『文学界』が「漱石・鴎外の消えた『国語』教科書」という特集を組んで話題になったことがありました(2002年9月)。中学生用の教科書教材として夏目漱石と森鴎外が取り上げられなくなっているという事実をふまえ、国語教科書について再考しようとした特集です。
この特集の中で「現行の『国語』教科書をどう思うか?」というアンケートが行われ、49名の作家、評論家からの回答が掲載されました。4つある質問のうちの1つが、翌年4月からの中学国語教科書に掲載されている作品の一覧表を示した上で、「この国語教科書について、どのように思われますか」とたずねたものでした。
回答を見ていて目立ったのは、次のようなタイプの感想です。
「走れメロス」がどの教科書にものっているのがふしぎ、この作品の文学的価値はさておき、これを「友情」を美徳とする物語として考えた場合、論理的に矛盾が出てくる。視点をかえると教科書にふさわしくない。(安野光雅)
太宰治「走れメロス」が、どうしてこれほど多く取り上げられているのだろう。他にもまだまだあるのではないか。翻訳が入っているが、これだけの分量を入れる必要があるのか。(松本徹)
太宰治の「走れメロス」ばかり入れているのはおかしい。編集委員の方々はこの小説についてなにか思い違いをしているのではないかという気がします。(松本道介)
どの版元の、二年用教科書にも太宰治の「走れメロス」がもれなく入っていることや、同じ作者の同じ作品が重複していることなど、編者の視野の狭さと安易さ、文部科学省の画一主義が読みとれます。(出久根達郎)
魯迅の「故郷」がどこにも入っているのは、(昔どこかで書いたことがありますが)何となく滑稽です。お皿を盗んだのが閏土(ルントー)なのか、それとも楊おばさんなのかを討論させるというのが、共産党政権下の大陸での国語教育の定番メニュウです。日本でも中学生の推理能力を伸張させ、階級意識を覚醒させるために、この短編を用いるよう、文部科学省が指導でもしているのでしょうか。(四方田犬彦)
なんで魯迅の「故郷」ばっかりなんだ? 無難だからか。私も中学のとき読まされたけど、面白くなかったなア。(武藤康史)
特定の教科書に関係しているので言いにくいが、教材の選択や姿勢が「中途半端」で、かつ「偏向」していると思う。魯迅を批判する気はないが、日本の中学生が全員魯迅の「故郷」(それも竹内好訳に限る)を「国民文学」として読むのはおかしいと思う。「走れメロス」の「国民文学」化も。(川村湊)
五年ほど前にも、中学の国語教科書を全部読んで考えるという企画を、清水義範氏と某誌で行なったことがある。そのときと教材がほとんど変わっていない。そして四社の教科書にそろって「走れメロス」が入っているという恐るべき画一化も相変わらずだ。それは高校の国語教科書でも同様で、一年生の「羅生門」、二年生の「山月記」「こころ」がどの教科書でも定番になっている。文学教材の定番化と、教科書の外部の文学への無関心の落差が、一番の問題だと思う。(清水良典)
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