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第1回 “恐るべき画一化”―定番教材はなぜ消えない |
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高校教科書でも・・・
異口同音に語られているのは、教材選択の“恐るべき画一化”の問題です。発表年代が比較的新しいのであたり前のことではありますが、「走れメロス」(1940年発表)も「故郷」(1921年)も、戦前の中等学校(旧制中学)の教科書には登場していません。敗戦後に採録が始まり、いつの間にか各社がこぞって採録するようになり、数十年にわたって教室で読み継がれてきました。
これは中学校の教科書だけの話ではありません。いちばん最後の引用文で清水良典さんが指摘しているとおり、高校教科書に収録されている「山月記」(1942年)や「羅生門」(1915年)、あるいは「こころ」(1914年)や「舞姫」(1887年)などについても、同じようなことが言えます。
念のために確認しておけば、森鴎外と夏目漱石は中学生用の教科書からは“消えた”かもしれませんが、高校生用の教科書ではいまだに健在です。これらの小説は敗戦後になってにわかに教材として教科書に採録されるようになり、一定の評価を受けながら“定番教材”としての地位を築きました。しかも、いまだに国語教育の現場において広範に受容され続けているのです。
これらの“定番教材”の起源は、たかだか50年ぐらい前までしかさかのぼれません。にもかかわらず数十年ものあいだ定番教材として君臨し続け、いまだに読み継がれているわけです。
いったいどうしてなのでしょうか?
「走れメロス」や「故郷」、「羅生門」や「こころ」などの“定番教材”が、いったいどうして今日の地位を築き上げるに至ったのか、あらためて考えてみる必要があるのではないかと思います。
さしあたり、“定番教材”の代表選手である夏目漱石の「こころ」を取り上げ、その起源を探ってみましょう。 |
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