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第3回 “復員兵が見た世界”―定番教材にひそむ戦場体験 |
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5.サバイバーズ・ギルトと敗戦後の日本
中内功の敗戦後
“サバイバーズ・ギルト”(生存者の罪悪感)という観点を導入すると、“敗戦後”の日本人の歩みが、これまでとは異なった相貌で見えてきます。しかも、“サバイバーズ・ギルト”(生存者の罪悪感)という問題が、思いのほか深く日本社会に根を張っていることに気づかされます。定番教材の誕生について考えるために、少しだけ回り道をしてみましょう。
中内功という稀代の商人がいました。裸一貫で闇市からスタートし、流通帝国ダイエーを築き上げた敗戦後の日本を代表する経済人です(※注、「中内功」の「功」のつくりは正しくは「刀」です)。
敗戦後、苛酷なフィリピンの最前線から復員した中内功は、1957年に大阪千林で「主婦の店・ダイエー薬局」を開店し、翌年には神戸三宮に2号店を出店。やがて商号を「ダイエー」に変更して次々に店舗数を増やしていきます。東証一部上場企業となった1972年には、売上高が3000億円を突破し、小売業日本一の座を勝ち取りました。さらに1980年には売上高1兆円を達成しています。福岡ダイエーホークスが発足した80年代から、中内功が経団連副会長に就任して勲一等瑞宝章を受章した90年代前半にかけては、向かうところ敵なしの勢いでした。
ところが絶頂期はすなわち凋落期の始まりでした。90年代後半に深刻な業績不振に陥っていったダイエーは、21世紀に入ると産業再生法の適用を受けてバブル崩壊後の負の遺産を象徴する存在になってしまいます。消費者本位の流通革命を起こして経済界を牽引し、高度成長期以降の日本社会に鮮やかな軌跡を残した中内功が失意の中で亡くなったのは、2005(平成17)年9月19日のことでした。
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