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第5回 “豊かな社会の罪障感”―定番教材のゆくえ |
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8.豊かな社会に潜在するもの
“敗戦後”と定番教材
同志だったKを裏切って“殉教”へと追い込み、お嬢さんを自分のものにした「こころ」の先生は、戦友の屍を踏み越えて敗戦後に復員した日本人とよく似ています。復員兵たちは、家庭的な幸福を手に入れることなく死んでいった戦友たちを尻目に、それぞれの“お嬢さん”と結ばれ、団塊の世代の父となりました。
また、“大義”に殉じることなく最前線の戦場から復員した人々が体験した世界は、「羅生門」の下人が生きた世界と同じように、死者や弱者からの収奪さえも辞さないエゴイズム渦巻く世界でした。飢え死によりも盗人になることを選んだ下人と同じように、戦場でも、敗戦後の焼け跡においても、生き残るためのエゴイズムに身を委ねた人々が大勢いたはずです。
「舞姫」の太田豊太郎の場合も、自らがエリート官僚として生き残るために、異国の地で妊娠させたエリスを“見殺し”にしたと考えれば、「こころ」や「羅生門」と同じように“敗戦後文学”として読まれ得る小説だということがわかります。冒頭部分でひとり船室の机に向かって物思いに沈む太田豊太郎の心の奥底に、実際に使われている「恨」とか「憎」というような表面的な言葉とは別に、罪障感やうしろめたさのようなものを指摘することは、けっして牽強付会の言ではないでしょう。たとえば、太田豊太郎のように、外地の女性との間に子どもを作りながら敗戦後の混乱の中で母子を置き去りにして復員してきたというような日本人がいたとしたら、彼の心の中にあるものは「恨」や「憎」などではないはずです。
これまで見てきたように、「こころ」や「羅生門」や「舞姫」などの定番教材は、“生き残りの罪障感”(サバイバーズ・ギルト)という問題をはらんだ“敗戦後文学”として再発見されたと言えます。
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