遺志の社会化
不慮の事故で肉親を亡くして生き残った遺族が、家族の死を無駄にしないために社会的な活動に邁進するという場合があります。
精神医学者の野田正彰さんによると、突然の死別は、深い悲しみや抑鬱状態を引き起こすだけではなく、「私は何もしてあげられなかった」というような自己非難につながることがあると言います。しかも、無茶な生活をして自らの身体をいたわらなくなるなど、無意識的な自傷行為に結びつく場合さえ珍しくないようです。このような負の状態から抜け出すための道筋はいろいろあるようですが、その一つが、社会的な活動をすることによって家族の死に意味を与えることです。
たとえば、娘を墜落事故で亡くした技術者が、乗客の生存率を向上させるための航空機設計のあり方について積極的に発言することで、「遺志の社会化」を果たそうとするケースがあります。
亡き人の「遺志」なる実体を想定し、遺志を継承し何らかの形で社会的活動に変えることによって、故人の生命を永続させようという心理機制を、多くの遺族にみることができる。私はこの心理機制を「遺志の社会化」と呼びたい。遺族は遺志の社会化によって、実は自らの再社会化、愛する人の喪失という厳しい門をくぐり抜けての、社会関係の再構築を行っているのである。
(『喪の途上にて――大事故遺族悲哀の研究』1992年・岩波書店)
サバイバーズ・ギルト(生き残りの罪障感)を抱えながら復員した中内功もまた、流通革命という社会的な貢献によって自らの負の感情を解消しようとして敗戦後を生き抜いたのでしょう。言い換えれば、貧弱な兵站ゆえに死んだ数多くの戦友の遺志を社会化するために、消費者本位の流通革命をなしとげ、ダイエーを小売業日本一の座へと押し上げたのです。靖国神社に足を踏み入れることができなかった中内功は、流通革命に命をかけることを通じて、死者と向き合っていたのかもしれません。
中内功に限らず、戦争をくぐり抜けた日本人の中には、程度の差こそあれ、似たような生き残りの意識を抱えていた人たちがいたはずです。もちろん生き残りの意識は人それぞれです。岸信介や正力松太郎のように指導者として戦争遂行に参画し、A級戦犯になりながら復権した人たちもいます。海軍技術中尉だったSONYの盛田昭夫や終戦間際に陸軍砲兵連隊に入営した渡邉恒雄などのように、従軍していたとしても最前線での戦場体験を持たない人たちもいます。彼らの抱える生き残りの意識を、中内功とまったく同列に扱うことはできないでしょう。とは言え、大きな災厄が起きたときに、直接的に責任を負わなくてもいいはずの人たちがサバイバーズ・ギルトに襲われることを考えれば、戦場体験の有無はそれほど大きな問題ではないかもしれません。少なくとも、中内功をひとつの典型とするような敗戦後の日本人の意識が、戦後復興を果たし、高度経済成長を成し遂げた“新生日本”を支えていたという側面を無視することはできないはずです。
もちろんこれは、文学の世界にも教育の世界にもあてはまることです。
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