ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 定番教材の誕生 第5回(4/5)

定番教材の誕生

第1回 “恐るべき画一化”―定番教材はなぜ消えない
第2回 “生き残りの罪障感”―定番教材の法則
第3回 “復員兵が見た世界”―定番教材にひそむ戦場体験
第4回 “ぼんやりとしたうしろめたさ”―定番教材の生き残り
第5回 “豊かな社会の罪障感”―定番教材のゆくえ
野中潤(のなか・じゅん)
聖光学院中・高教諭
日本大学非常勤講師
著者のブログ
BUNGAKU@モダン日本

第5回 “豊かな社会の罪障感”―定番教材のゆくえ
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全共闘世代と村上春樹の文学世界

学生運動の舞台となった
東大・安田講堂

 1944年生まれで、団塊の世代とほぼ同じ時代を生きてきたと言える川本三郎さんは、『羊をめぐる冒険』(1982年・講談社)を論じた「村上春樹をめぐる解読」(『文学界』1982年9月)というエッセイの中で次のように述べています。

 私が先に、北海道の山奥で「僕」が何年ぶりかであった「鼠」に「君はもう死んでいるんだろう?」と静かに聞くところで不覚にも涙した、と書いたのは実はこの文脈でである。六○年代の終りから七○年代のはじめにかけて私たちの周囲にはほんとうに「鼠」のように急に姿を消してしまう友人がたくさんいた。私たちは此岸に残り、彼らは彼岸に消えた。この差はどうしようもなく大きい。「僕」と同じように私でさえこの消えてしまった友人を“シーク”(捜索)したくなることがしばしばである。“君は、ほんとうにどこに消えたのか!”。だから私は次のようなこの小説の言葉につまずく。――「僕は彼女の向いの椅子に腰を下ろし、コーヒーを飲みながら、昔の連中の話をした。彼らの多くは大学をやめていた。一人は自殺し、一人は行方をくらませていた。そんな話だ」――。

 よく知られていることですが、罪障感を抱えて生き残った者の物語を繰り返し書いている村上春樹は、1949年生まれの“団塊の世代”です。そして、中内功のように極限状況を経て生き残ったというわけではありませんが、村上春樹の小説に共感する団塊の世代の読者にも、広い意味での“生き残りの罪障感”を見出すことが可能であることを、この文章は示しています。「鼠」と呼ばれる青年の失踪(死)を前にして、大学をやめたりエリートコースから降りたりせずに「此岸」に残った人々が感じる罪障感、あるいはうしろめたさの問題です。

 村上春樹が書いたベストセラー小説『ノルウェイの森』(1987年・講談社)の中で、ヒロインの一人である緑が次のように語っているのも、同じ問題の所在を示唆しています。

「そのとき思ったわ、私。こいつらみんなインチキだって。適当に偉そうな言葉ふりまわしていい気分になって、新入生の女の子を感心させて、スカートの中に手をつっこむことしか考えてないのよ、あの人たち。そして四年生になったら髪の毛短くして三菱商事だのTBSだのIBMだの富士銀行だのにさっさと就職して、マルクスなんて読んだこともないかわいい奥さんもらって子どもにいやみったらしい凝った名前つけるのよ。何が産学共同体粉砕よ。おかしくって涙が出て来るわよ。」

 「髪の毛短くして」とか「産学共同体粉砕」というような言葉がなければ、「こいつらみんなインチキ」という緑の告発は、『ノルウェイの森』を手にしたさまざまな世代の読者にもあてはまるものではないでしょうか。高度成長期以降の日本社会で生きていくということは、必然的にどこかで他者を損ない、何かを踏み台にしてしまうことを意味します。学生運動をしていたわけではありませんが、アメリカやドイツに仕事で出かけることが多いらしい主人公のワタナベも、おそらくは「インチキ」な日本人の一人です。「インチキ」な日本人の一人として告発されつつ、どこかで読者に(あるいは作者自身に?)許容されている存在です。

 村上春樹の文学世界は、「喪失感」という言葉で語られることが多いのですが、ワタナベのような人物の中にある“悪”や“背信”を考慮した場合、「罪障感」や「うしろめたさ」のようなものをそこにつけ加えるべきだとは言えないでしょうか。

 もちろんこれは、全共闘運動を体験した団塊の世代だけの問題ではありません。おそらくは団塊の世代が中心になって作りあげたと言っていいバブル景気を、団塊の世代とともに謳歌してきた新人類世代の中にも、「インチキ」だらけの世界の中で、何ものかの犠牲の上に生きているのだということに対する“ぼんやりとしたうしろめたさ”のようなものはあったに違いありません。

 あるいは、しばしば抑圧されて忘れられてしまい、今は潜在的なものになってしまっているのかもしれませんが、全共闘運動を体験していない世代を含め、21世紀を生きる私たちが体験してきた出来事の中にも、“生き残りの罪障感”とは言えないにしても、もう少し明確な輪郭を持つ「罪障感」が見出せるはずです。

 たとえば1991年の湾岸戦争のときには、ベトナム戦争の頃は幼かった新人類世代の私も、すでに一人前の大人になっていて、戦争との関係を意識せざるを得ませんでした。特に90億ドルもの巨額の資金が“多国籍軍”への財政支援という形で拠出されることがメディアを通して伝えられたときは、酒税や消費税などを通して戦争に“加担”させられている自分に気づいて愕然としました。

 あの頃と今と、何が変わり、何が変わっていないのでしょうか。

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