定番教材のゆくえ
「こころ」や「羅生門」や「舞姫」のような物語が、なぜ定番教材となり、なぜいまだに読み継がれているのかということについて、教科書を取り巻く社会状況を含める形で、きわめて大ざっぱな形で考察をしてきました。また、『ノルウェイの森』のようなベストセラー小説の中にも、“生き残りの罪障感”や“ぼんやりとしたうしろめたさ”のようなものを読みとることができることを指摘してきました。具体的な言及はできませんでしたが、人気アニメや人気ドラマの中にも同じようなテーマやモチーフは頻出しています。
また、小学生用の教材にも「ごんぎつね」や「スーホの白い馬」など、“生き残りの罪障感”や“ぼんやりとしたうしろめたさ”を読みとることが出来る教材が少なからず存在します。
さらには江國香織の「デューク」や吉本ばななの「みどりのゆび」のような中学・高校生用の新しい教材の中にも、生き残った主人公が死者に許され癒される物語が散見されます。
今のところ「こころ」や「羅生門」や「舞姫」のような教材が教科書から消える兆候はありません。教え慣れた扱いやすい教材として、教科書編集上、必要不可欠のものになっているとさえ言えます。
敗戦直後の日本人と同じような“生き残りの罪障感”を抱え込んでいる人は少ないかもしれませんが、自分の生が何ものかを踏み台にすることで成り立っているのではないかという“ぼんやりとしたうしろめたさ”は、地球温暖化などの環境破壊が深刻化する中にあって、国際社会の中で相対的には豊かな社会に生きている私たちの中に、明確には意識されないまま潜在している気分ではないでしょうか。どうやらこれからも私たちは、このような物語を国語教科書で読み(読ませ)続けていくことになりそうです。
だとしたら、小学校から高校に至る国語科教育の中で、そういう教材を繰り返し読ませるということは、いったい何を意味するのか、そこで成し遂げられていることは何なのかということについて、改めて考えられるべきではないでしょうか。
少なくとも、教科書を作ったり読ませたりする側が、同じような物語ばかりを読ませていることに対して自覚的であることが必要なはずです。
おそらくこの問題は、「定番教材」という枠組を超えた広がりと、「教育」という問題にとどまらない深みを持っています。そう簡単に片付けられる問題ではありませんが、今後も自分なりに考察を続けていくつもりです。
(おわり)
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